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『火車』
宮部みゆきが描く、現代の「火車(かしゃ)」

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近代文明が神や妖怪、精霊などを追放して、もうずいぶんと時が経ちました。それはつまり、神様や妖怪の名前が、人々の意識から消えうせて久しいことを意味します。「火車」もそうです。現世で罪を重ねた人間の亡骸を強奪する妖怪で、岩手県では「キャシャ」とも呼ばれていました。この妖怪も、今の世では知らない人の方が多いでしょう。そもそも土葬自体が今やマイナーですからね。

むしろこの妖怪の名前からヒントを得て現出した小説の方が今では有名でしょうか。宮部みゆきが1992年に上梓したミステリー小説『火車』のことですね。宮部はタイトルを決めて小説を書き出すタイプの作家です。水木しげる(漫画家・故人)の本を読んでいる中、妖怪「火車」が出てきて、自身のアイデアと合致しそうだと気に入り、そのままタイトルにしたのだとか。

宮部みゆきはホラーや時代小説も書きますが、今作は妖怪を軸にした小説ではありません。現代が舞台です。とはいっても、2016年の現在からすると20年以上前の日本が小説の舞台なので、果たしてどこまで「現代」足りえるのか、はなはだ心許ないものですが、少なくとも同じ平成ではあります。


あらすじをカンタンにご説明します。とある休職中の刑事が遠縁にあたる男性から「失踪した婚約者、関根彰子を探してくれ」と依頼を受けます。刑事とはいえ休職中のため、警察手帳は使えません。しかたなく雑誌記者などに扮して手掛かりを求めていきますが、捜査の過程で明らかになる「関根彰子」という女性の実在性の無さ。そこに現代に特有の「人間の存在」を軽視する風潮と、クレジット・カードにまつわる怖さが、まざまざと浮かんでくるのでした。

宮部みゆきの初期における傑作とも言える『火車』ですが、このミステリーの肝は、何と言ってもターゲットが最後まで出てこないという構造にあります。宮部作品の特徴でもある「理由を追求する」姿勢ゆえ、トリックや謎解きにはあまり重きを置いていないのです。丹念な取材が感じられるリアリティはありますが、それらはすべてターゲットの人間像を浮かび上がらせるための仕掛けに過ぎません。

繰り返しになりますが、これが現在でも現代劇たりえるかは保証できません。しかし社会の裏面を人間ドラマで暴くという宮部みゆきのひとつの姿勢を決定づけた作品でもあります。長編ではありますが、そのぶんじっくりと、現代に潜む「火車」を堪能して頂けると思いますよ。


作品情報

・著者: 宮部みゆき
・発行: 双葉社(1992年)







 

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