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『更級日記』
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ?

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日本の古典エッセイ。本日のお題は『更級日記』です。本のタイトルくらいは聞いたことあるよ、という方も多いのではないでしょうか。作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)さんという、平安時代の貴婦人です。

彼女のご本名はわかりません。当時は女性の名前なんて公的には出さないものだったんです。別に男女差別というわけではなくて、「本当の名前を知られると誰に呪われるかわかったもんじゃない」との信仰が一般的だったからです。今でいう個人情報保護のきらいが当時にもあったわけですね。実際、平安の名作『源氏物語』でも、光源氏は関係を持った女性を「夕顔」や「空蝉」などと名付けます。彼女達の本名を源氏の君は知らなかったんですね。よほどのことがない限り、本名を公にしない。それが当時の風習だったのです。


菅原孝標女の銅像
(@千葉県市原市)


出典:Sugawara no Takasue
no musume.jpg
from the Japanese Wikipedia
(2008年11月1日撮影)

ご本名はともかく、『更級日記』は彼女の少女時代から熟年期にかけての生活を綴った自伝的エッセイです。それによると、彼女は同じ平安時代に一世を風靡した『源氏物語』の大大大ファンだったそうです。寝ても覚めても『源氏物語』漬け。テレビも映画もない時代ですから、ファンタジーに没頭できることは何よりの娯楽だったんだと思います。囲碁や双六などもありましたが、あれらはプレイヤー同士の、いわば人間関係に配慮しなきゃいけなかったですからね。

私の勝手な想像なのですが、この菅原孝標女さんって、もちろん聡明な方ではあったんでしょうけど、オタクの傾向が若干あったんじゃないかと思います。たぶんですけど、現代にいたら、黒髪のポニーテールに、フチなし眼鏡をかけていてナチュラル・メイク。少しぽっちゃり気味だけどデブというほどでもない。総じて言えば、おぼこい。そんな女性だったんじゃないかなと。

『更級日記』にはこんな話があります。彼女は幼少のころから『源氏物語』に接していたわけではありません。お父さんの地方転任についていった先で口伝として『源氏物語』の存在を知るのです。

しかし言い伝えですから内容はうろ覚えの支離滅裂だったのでしょう。『源氏物語』って結局どんな話なの? ホラーなのかビルドゥングスロマンなのかわからないわ。そう思った菅原孝標女さんは、何が何でも物語をパーペキに読みたいのよ、と仏様に祈ります。祈るだけなら信心深いの一言で済むのですが、なんと仏像を自分でこしらえます。本が読みたいのか職人になりたいのか、現代の尺度ではよくわかりませんが、念が通じたのでしょう、彼女はやがて『源氏物語』を全巻コンプリートするのです。

その他にも幼少のころのエピソードを並べて、「昔の私ありえなさすぎ!」と自分でツッコミを入れる菅原孝標女さんのお姿が、『更級日記』にはうかがえます。かわいらしい人やなぁ、と僭越ながら思ってしまいそうです。

長じてからは、夢ばっか見てちゃいけないわ、と現実志向に至り、結婚、出産をし、やがて夫に先立たれて仏教に帰依する彼女。宗教もある種のファンタジーであるとすると(そう言うと怒る人もいるかもしれませんけど)、彼女は徹頭徹尾ファンタジー・ラヴで生きた女性と言えるかもしれないわけです。『更級日記』は彼女の回想録であるわけですが、過去というのもこれまたある種のファンタジーですからね。


作品情報

・著者:菅原孝標女
・成立:康平3(1060)年前後





 

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