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『失われた愛を求めて』
あるいは歌謡曲歌手における悲劇性の必要

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歌手、吉井和哉の自伝『失われた愛を求めて』が上梓されたのは2007年。彼がヴォーカルとして所属していたバンド、ザ・イエロー・モンキー(以下、イエモン)が解散したのは2004年だったが(2016年に再結成)、恐らく重要なのはバンドではなく、2007年に彼が40歳であったことだろう。もうイイ歳だし、この機会に自伝でも出しておこうかと。

自伝は吉井和哉の筆によってではなく、聞き書きのスタイルで作られることとなった。つまり、吉井がインタビューを受け、それを口述筆記するという形式。インタビュアーを務めたのは、音楽評論家でもあり、雑誌『ロッキング・オン』の名物編集者でもあり、また、株式会社ロッキング・オンの代表取締役社長でもある渋谷陽一だった。彼と吉井はイエモン時代からの旧知の仲だったのだ。

旧知の間柄ゆえ、インタビューの中身が上面を撫でるだけの、たとえばバンドを解散してソロになった気分はどうだなどの、話にはなりえない。それならば渋谷がインタビュアーを務める意味は無い。メイン・テーマは━━それが自伝なのだから当然と言えば当然だが━━吉井の生い立ちやプライベート、人間的背景である。そこへ切り込み、商業として成立するだけの文脈に落とし込む、それが渋谷の命題だったと推察される。


かつてビートルズのジョン・レノンが「プレイ・ボーイ」誌(1981年1月号)にて語っていたことには、「当時他の女性と関係があることを妻に知られたくなかったからね。実際に僕はいつもだれかと不倫していたんだけど(後略)」(中川五郎、監訳)とあったが、吉井の女性関係も負けず劣らず奔放である。良く言えば人間らしさがあり、悪く言えば無節操となろうか。その片鱗がうかがい知れるのが、この自伝の価値のひとつとも言える。

もうひとつには、━━これはあくまで私個人の解釈だが━━歌謡曲を「物語」として成立させるためには、作り手(歌い手)の葛藤や悲劇性が要求される、その証左として価値があるのではないかと思う。『STARLIGHT』の項で述べたように、彼の楽曲はグラム・ロックと歌謡曲の融合である。また『天城越え』にて登場した吉岡治いわく「幸せな表現者は、いいものを表現出来ない」とのことだった。吉井は愛を求め、満たされるところを求め続けた、なればこそ、彼の歌は、パフォーマンスは、多くの人に支持されたのである。



作品情報

・著者: 吉井和哉
・発行: ロッキング オン(2007)





 

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