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■ 4月30日~5月30日にかけて、「日本の模型」をフィーチャーします







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高台寺
北政所の愛は、今もそこに

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高台寺へ行く。いや、この場合、「行く」という表現は不適切かも知れない。行こうと企図して行ったわけではないから。早い話、偶然。端的に言えば迷い込んでしまっただけのことであるからして。

何のこっちゃやら。そりゃそうである。順を追って説明したい。前出の「建仁寺」の項でも触れた通り、建仁寺から南東へ進めば清水寺に辿り着く。辿り着こうとした。したのだけれど、しくじった。京都には不案内の身ゆえ、東大路通りを横切ったが最後、路地の中を迷走。ザ・ビートルズの5枚目のアルバムのタイトルを叫びたくなった(叫ばなかったけど)。そうこうしているうちにいつのまにか高台寺に迷い込んだ。そんなわけである。

ここで「なんだ、しょーもねぇ」と、一笑に付したくなる気持ちはよく解る。しかしだ、諸君。

迷い込んだということは、何かの縁とも言えなくもない。本来なら迷わなくてもいいところを迷い込んだ。それは「何者か」が私を高台寺へ招いたと考えても良いはずである。神秘主義者かオカルトか。しかし縁とは得てしてそういった「説明のつきにくい」ものであろう━━あなたがあなたのお母さんから産み落とされた由来は奈辺にあるか、合理的な説明ができるだろうか?━━。ならばその縁に従うのもまた一理。

私は寡聞にして知らなかったのだが、高台寺はかの有名な戦国武将、豊臣秀吉を祀る寺院らしい。正確に言えば、豊臣秀吉の正室にあたる北政所(高台院)が亡き夫の冥福を祈るためにと建立した禅宗寺院であり、勢い、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格を有するようになったわけである。

宗教的なことに触れると、高台寺は開山当時、曹洞宗の寺院であったらしい。ところが北政所の兄は建仁寺(臨済宗)との関係が深く、彼の七男が建仁寺に出家していたことなどが遠因として働き、高台寺はのちに臨済宗に改宗し、建仁寺の末寺になったと言われている。



そんなこんなで、事実上、高台寺は北政所の寺と言えるだろう。

北政所と言えば愛の人という印象が強い。秀吉とは、当時としては珍しく身分を超えた恋愛結婚であったと伝えられるし、秀吉の側室の淀殿はむろんのこと徳川家康、秀忠とも友好関係にあったと聞く。ルイス・フロイスは『日本史』の中で北政所のことを「関白殿下(秀吉)の妻は異教徒であるが、大変な人格者」「女王」と叙した(らしい)。

それゆえ、彼女は秀吉の亡き後も、経済的、政治的に困窮することがなかった(とされる)。畢竟するに「博愛的であること」「敵を作らないこと」が生存戦略としていかに有効かを十全に理解し、実践された女傑なのだと思う。ただ畏れ入るばかりである。だからして、私が彼女に導かれた縁から受け取るべきメッセージは次の一言と類推される。

ALL YOU NEED IS LOVE。










 

建仁寺
臨済宗の総本山、あるいは風神雷神図を訪ねて

中尊寺
岩手は平泉にて、ピースピース!