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■ 4月30日~6月29日にかけて、「日本のジャズ」を取り扱います







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K: 横浜駅前にある崎陽軒本店の場所に、昔は本社がありました。本社を移転して、旧ビルを本店、レストランにするにあたり、横浜と姉妹都市である上海(シャンハイ)から料理人を招聘しようとなりました。はじめに、点心師という点心の職人を2人招いて、担当するセクションとして、研究室が受け持ち、私が担当することになりました。

点心師との試作が始まり、なんとか日本人向けの点心を作りました。でも売るには営業許可が要ります。社長に伺うと「取ればいいじゃない」と言われ、調理場も立ち上げ、何とか許可も取り、販売開始。すると今度は売上、宣伝と次から次に仕事が増えるわけです。いつの間にか「研究室」から、‘89年に点心部という部門が設立されました。


開発を志した君塚は、いつしか仕事自体を開発(開拓)してゆくようになる。君塚は研究室員と営業主任を兼任していた。

K: 商品も作るし、出荷伝票や日報も書くし、先輩に教えてもらった通り、毎日売上報告もするし。やがて点心部の工場を造るとなった時も、社長から「造ればいいじゃない」と言われ(笑)、当時のシウマイ工場の屋上に何とか造れそうだということで、自分で設計図を描いたり、業者に見積もりを取ったり、機械を選定したりしました。その時は、点心屋の社長になった感じでしたね。


一時は中国人が10人ほど在籍したそうで、「いろいろ文化の違いもあり大変だった」と君塚は語る。それでも聴き手としては、どこか楽しそうに感じられたが。


君塚義郎

1960年、東京生まれ。
1983年、玉川大学を卒業後、崎陽軒に入社。
2005年 シウマイ点心事業部長に就任。
2006年 弁当事業部長に就任。
2010年 取締役に着任。
現在、取締役横浜事業本部長、
弁当事業部長、
開発本部R&D室長を兼任。


K: 楽しくはなかったですよ。大変でした。でも面白かったです。面白いかどうかって自分には大事で、仕事って精神的、肉体的に、つらいことも大変なこともあるじゃないですか。楽しいこと、笑顔でいられることだけじゃない。でも振り返った時に、面白かったと割り切れることが大事かなと思います。

山登りと同じで、登る時は険しくて大変だったり、場合によっては途中で引き返したくなることもある。仕事だって、達成できず、泣きたくなることもあります。ただ、それでも時間が経つと、また登山したくなるのは、苦労の後のすがすがしい景色や人との出会いがあり、「面白かった」と思えるからなんじゃないかと。


「仕事とは社会に空いた穴を埋める作業である」と言ったのは、養老孟司(解剖学者)だったと思う。自分に適した穴が、そんなに都合よく空いているわけがないということだ。つまり、心がけひとつなのである。

K: 研究室にいたはずなのに、気が付いたら物事が前に進んで、営業主任になって、新しい部が出来ていた。そこで振り返ると、いろんな人と知り合えたし、世の中の仕組みもいくつか分かった。分からないことがあっても、訊けば大抵は教えてくれますしね。

昔、惣菜製造と菓子製造の許可を同時に取れるのか、然る所に訊きに行ったことがあるのですが、同じ場所では取れないと。でもよく聞くと、条件付きで認められたりするケースもあって、必ずしもがんじがらめではないんだなと。だから若い人に「それはムリです」とか言われると、「ちゃんと確認したのか? ムリなら、できるようにするにはどうしたらいいか、訊いてこないと」と思うんです。

たまに「待て」とも「ダメだ」とも言われていないのに待っている人もいますけど、私なんか躾のできていない犬みたいなもんですから、「誰も食べないなら頂きまーす!」と(笑)。ダメと言われていない限りは、やっていいと思うし、やり方が分からない時は、分かっている誰かに訊けば良い。教えてくれますから。


こうして前に進み続けて、気が付けば、君塚は取締役の座におさまっていた。彼が感じる、崎陽軒が現状抱える課題とは、かような立ち位置に拠っていると言える。

K: もうひとつの課題としては、おかげさまでシウマイ、シウマイ弁当が好評ですが、これは何十年も前に作られた商品です。だからシウマイ、シウマイ弁当に次ぐ代表選手を、早く完成させなければならないなと思っています。先の原材料の問題も含め、今後の課題ですね。


インタビューと文: 三坂陽平
監修と校正: 崎陽軒 広報・マーケティング部