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日本の衣料品
枡儀 専務取締役

上田哲也

< 2015年05月24日 >


枡儀の大島紬の紹介記事をちょっと前に掲載したが、今回は枡儀の専務取締役であり8代目でもある上田哲也氏へのインタビューである。

というのも、着物、特にその最高峰の1つと目される大島紬など、一般の我々には、どういうのが良い物なのか、だいたいその良し悪しの基準とは何なのか、分からないことの方が多い。そしてそれが日本人の着物離れを加速させた一因ではないかとも思うのだ。疑問を紐解き、その上で枡儀の大島紬を知るためのインタビューを、京都の枡儀本社にて。



枡屋儀兵衛 本場奄美大島紬
「花のつどい」

「大島紬の値段の差というのは、技術の差が基本にはなっています。テレビのドットの数や画像のピクセルと同じで、どんな細かい点を使って柄を表現しているかで値段の上下があるというのが基本。ただ、それに染色や希少性などの要素が加味されます。昔は一定の価格水準みたいなものもありましたが、製造が減った現在では、各社、(値段が)バラバラですね」


製造量の減少に伴いボーダーレスとなった大島紬作りの現状が、値段の混沌として表面に出たということだろうか。それは取りも直さず、大島紬を取り扱う各社のポリシーがより顕著になるとも言える。枡儀の姿勢はいかばかりか。

「大島紬は、柄が細かければ細かいほど高く、それが良いとされてきた傾向がありますが、僕は物を高く作るのは簡単で、安く良い物を作る方が難しいと思うんです。価格と美しさをいかに高い水準で折り合わせるか腐心するところは、他社さんとの差かと考えています。まず良いと思うデザインを描いて、それをどう表現するかを考えるので、大島紬の細かさありきではない。そもそも、メーカー業に参入した一因には、当時の大島紬のデザインに良いと思うものがあまり無く、自分達が良いと思う大島紬を作りたかったから、もあります」


細かさを表現する技術は素晴らしいが、それが眼目になると、衣服として大事な要素であるデザインがおろそかになってしまう。それでは本末転倒だろう、という姿勢は、実は枡儀が京都にある理由にも繋がる。

「大島紬は奄美大島で作るわけですが、奄美大島でデザインするわけではなく、昔は京都でデザインして、そのデザイン画を売りに行ったんです。今でも弊社のデザインを他社さんに売ることがあります」


とはいえ、枡儀は大上段に構えて、京都にばかりいて、現場を見ないというわけでもない。製造の現場である奄美大島に、上田氏は2年間住んでいたという。大島紬を作る現場の実情を拝聴した。


奄美大島の美ら海
(訪れた日にちょうど奄美は、なぜか沖縄を通り越して梅雨入り)

「生産の現場で言うと、大島紬を作っている層というのは、平均70歳近くの高齢層です。というのも、大島紬を作って暮らしてゆくのが今は非常に難しい。昭和50年前後には年間28万反くらいの製造量があったものが、今は6千反くらい。自然、需要が減ると値段を下げるよう、末端の作り手にシワ寄せが来る。すると作り手の実入りは減る一方ですよね。従前はそうでもありませんでしたが、今はもう年金を受けながらの製造がほとんどです」


奄美大島の古民家

「ゼロからモノを産み出すわけですから、本気でやれば製造こそが一番強いと思います。そこにクリエイティヴな部分があれば食べていけるでしょうが、単に作業になってしまうとやっていけない現場でしょうね。2~3年でハイ・レベルなものを織れるようになった人もいれば、長く従事していても初級レベルという人もいますしね」



奄美大島内・奄美空港にて