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■ 6月30日から7月30日にかけて、1984年のポップスをフィーチャーします







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中崎さんと佐久間さんが共同で録音・ミックスを手掛けた、
GLAYの43作目のシングル曲「everKrack」



さて、よく音が良いとか悪いとか云われるが、それは言葉にするとどういうものなのか。もしオーディオという面から見た音質ということなら、ある程度は判別がつくだろう。乱暴な話、カネを掛けさえすれば良い音は手に入る。しかしスタジオでプレイしたり録音したりというのは、スタジオの構造的特徴や機材などの環境面もさることながら、まず音楽的な意味での音の良し悪しの話になる。

N: 言葉とか視覚的なものではないので、上手くは言い表せないんですけど、聴いていて鳥肌がたったり、興奮してきたり、涙が出てきたり、そういう体感をすることがあると思うんですね。何の気なしに歌を録っていて、気づいたら涙が出ていたとか、経験としてはありますし、そういう時に「良いのが録れた」と思います。やっぱり作っている現場で誰も興奮しないものは、それを聴いてもらえたとしても、誰も興奮させられないと思いますしね。経験上、「良いモノ」の基準って、よほどのフェチズムがない限り、人とそれほど相違がある感じではない。良いモノはみんな「良い」と言いますし。だから奥が深いんですけど。



良い音を奏で、録り、それが積み重なって誰かに聴かれ、それが広まった時に「ポピュラー・ミュージック」として成立する、ということだろうか。そしてその「良い」の基準は大同小異である、と。そうすると、ここで気になるのは、彼女の中にある「ポップ」の基準だ。人間の音楽的嗜好は、その人が10代半ばまでに聴いた音楽により決まる、とも云われる。彼女のポップ・ミュージックのルーツを訊ねてみた。

N: 今年で29歳になります。だから90年代に小中学生で、デジタルもアナログも混在していましたね。小学校高学年でMDに移行したんですけど、小さい頃はカセット・テープを使って、アニメの歌とか録ってましたし(笑)。当時って今とは違って、音楽は聴いて当たり前で、流行りものは全部聴く感じでしたね。私は、どちらかというとバンドものばっかり聴いていたんですけど、それでも(女性アイドルなどの)他のジャンルの音楽もフツーに聴いていましたから。


90年代。おそらく日本のポップ・ミュージックの最盛期といえる時代だろう。通信カラオケの台頭や、『ヘイ!ヘイ!ヘイ!』『速報!歌の大辞テン』『CDTV』などの音楽番組の隆盛も相まって、ポップ・ミュージックが本当に生活や消費文化に根をはっていた。バンドもアイドルもユニットも歌手もバランスよく共存していて、まるで百花繚乱とでもいうようなバラエティの豊かさだった。あの頃の空気を吸って中崎さんは思春期を過ごしたわけだが、そんな彼女にとって、今と昔では日本のポップスは音の面でどう変わったように聴こえるのか。

N: 昔の方が、夢を見ていた感じはありましたね。今はどんどん現実的になりつつあるな、と。それは醒めているのではなくて、全体的に音がどんどんリアルに近づいて行こうとしている。録音環境が良くなって、それに伴って音が鮮明になってきたわけですけど、リアリティがあり過ぎるというか、現実的過ぎて逆に無機質な感じというか・・・



2000年代に入り、録音機材はデジタル化の一途を辿った。昔は磁気テープに録音したものだが、今やハード・ディスクの時代。録った音のサイズの処理なども、カミソリでテープを切ったりしていたのが、今ではマウスを数回クリックして済ませられる。「ポップ・ミュージックが無機質になってきた」というのには、そんな変化が関係しているように思ってしまうが、彼女の反応は少し違った。

N: アナログを知っている人はアナログを知っているから嘆いたりするだけで、そもそもデジタルもアナログも手段でしかないわけです。そこに囚われるのか、上手く使っていくのか、の問題だと思いますよ。ただ、現場でいうと、扱う人間がどんどんデジタルになっちゃってる感じはします。たとえばフェーダー(コンソール卓上の、音の入力・出力レベルを調整する装置)があそこにあって(目盛りの)数字が書いていますが、昔だったら数字を気にせず、自分が良いと思った所で、つまり感性主体で音の強弱だったり位置であったり決めていたと思うんです。でも今はサンプリングと一緒で全部数字ありきというか、そういうエンジニアが増えているな、と。私はあまり深く考えないので感性主体というか、自分の好きにやろう、という方なんですけど(笑)。


そう考えると、日本のポップスは、音の面で言えば二極化を前にしているのかも知れない。しかしそもそもポップスとは何だろう。ポップ・ミュージック、大衆音楽と言いきってしまえばそれまでだが、その定義はあまりにも霧の向こうにあり過ぎる気がする。もしかすると定義のない音楽の総称なのではないか、とさえ思えてくるくらいだ。技師としてポップ・ミュージックにたずさわってきた中崎さんは、「ポップスとは?」の問いにどう答えるのか。

N: 20代最後にこんな難題が(笑)。うーん・・・わからないですね。体感上のものでしかないですから。そもそも誰が決めるのかも解らないですからね。


正直な感想であろう。それこそ、自身が培ってきたもの、自分の中に堆積したものから直感的に判断されるべきものであり、言語化されるものではないのだ。ただ、その手掛かりとなるかもしれない発言を紹介しておきたい。

N: エンジニアをやっていて、つらいことはいっぱいあります。興味のない音楽もずっと聴かなきゃいけないとか、一人だけ休み時間がないとか、深夜や朝まで作業しなきゃいけないとか(笑)。なりたいエンジニア像という所では、ミュージシャンの出した音の意図をちゃんと汲み取れる人でありたいですね。だから、たとえそのミュージシャンのことを人間的に嫌いでも、好きにならなきゃいけない(笑)。良い音を出してくれれば、人として善い人である必要は必ずしもないですから。ただ人格ってやっぱり音に出ますから、そういう場合、私が見えていない、見ようとしていないだけで、その人の中に何かしら良い所があるんだろうし。


ポピュラー・ミュージックとは、不特定多数に共有されて初めて成立する音楽だ。多少の曲解を承知で言えば、一種のコミュニケーション・ツールと言えるだろう。では、逆にコミュニケーション(意思疎通)が成り立たない相手とはどんな相手か? 言わずもがな、「嫌いな人」、「全く興味のわかない人」だろう。つまるところ、微かな何かを足掛かりに人と人はやっと繋がれる。その「何か」の拠点となるヴァイブス(感覚)は、ポップ・ミュージックの創作においても重要であり、スタジオというのはその始点なのだ。

彼女は今年29歳。日本のポップスの流れと共に、今後のキャリアの中でその感覚は幾度も刷新され、やがて理論として活きてくるのかもしれない。




インタビューと文: 三坂陽平
取材協力: 京都精華大学