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■ 2月29日から3月30日にかけて、文房具をフィーチャーいたします。







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ツヴィリングは1731年創業の、ドイツのN・W州ゾーリンゲン市に本社を置くキッチン用品メーカーだ。彼らは関市をたずねるうち、同市に刃物の町としてのゾーリンゲンとの共通項を見出し、関市に工場を配置することを決めたと言う。しかし同じ会社とは言え、工場の実情には決定的な違いがある。ツヴィリングのドイツの工場では、人間はほとんど活躍しない。ロボット・アームがテキパキと作業をこなして、包丁を製造してゆくのだ。一方、関市の工場では、ハンドル磨きから刃付け、さらには品質の検査に至るまで、生身の人間が必要とされる。

丹羽「工場と聞くと、設備が第一で、それを管理するのに最低限の人がいれば良いとか思われるかも知れませんが、うち(の工場)はそんな感じではないですね。あくまで職人ありきと言いますか、それぞれの分野の職人を大事にするような・・・」



さて、生身の人間が仕事に従事する際に、勿論、休息や福利厚生、衛生管理は大切である。それらは先述の通り、「最適化」によって改善されてきた。しかしメンタル面、つまり仕事における充足感というのも、心を持つ人間にとっては重要だ。ああ、この仕事をやっていて良かった。そう思える瞬間が多ければ多いほど仕事に熱が入るし、少なければ少ないほど疲労と虚無感が蓄積して、仕事がお座なりになってゆくものだ。

丹羽「実際にユーザーの方からお手紙でお褒めの言葉を頂いたりすると、とても嬉しいですし、励みになります。クレームを頂く場合もたまにありますが、そんな時は・・・落ち込みますね。もっと頑張らなければと思います」


良い包丁の定義はない。ツヴィリングの包丁が、実際にはどうなのか。これはユーザー1人1人がその手で握って、試して、初めて分かることであり、文章や言語で表現されるものではないのだ。人によって、合う、合わないなどは、どうしても出てくる。作り手は“良い包丁”という、明確には存在しない定義を目指さなければいけないのだから、そこに修練と試行錯誤は避けられない。前出の同社役員いわく「彼女(丹羽)の腕は、ウチでトップ・クラスです。と、いうことは、世界的に見てもトップ・クラスなんです」とのことだが、そんな彼女とて、例外に納まることはない。

丹羽「自分のウデは、まだまだだと思います。自分の思うように上手くできず、なんでなんだろうと泣いてしまったこともあります。理想の刃付け職人を10だとしたら・・・(自分は)5くらいでしょうか。切れ味や耐久性など、様々なテストや抜き打ちの品質検査などがあって、それらをクリアしたものしか流通しませんから、商品のクオリティという面では、当然、申し分ないんです。ただ、私が携わっている刃付けに関しては、 もっとできるはず、まだまだいけるはず、と思うところが、やっぱりありますので」



通常、我々が年表や英単語を覚えるには、脳の「海馬」と呼ばれる部位が使われる。それに対して、自転車の乗り方や水泳方法の習得など、身体を使う形で記憶を作るのは、「大脳基底核」と「小脳」のニューロン・ネットワークとされている。職人の「ワザ」は、身体を駆使するのだから、後者によるところが大きいことは明白だ。

脳は我々の人生を形成する臓器である。丹羽めぐみは、入社以来、一心不乱に包丁の刃付けを生業としてきたのであり、彼女の脳と身体には、そのワザが、半ば不可分的に編み込まれている。であるならば、彼女の人生、生活にも、それは何らかのフィードバックを施しているはずだ。丹羽めぐみの、私生活において感じる、刃付け職人の性(さが)は、いかに?


丹羽「プライベートで料理する時には、ツヴィリングの包丁を使っています。私が使っているのは、“ツインフィン”シリーズという、柄と刃が一体になったタイプの包丁ですね。私は手が小さいので、あまり大きい包丁、重たい包丁だと使いづらいですが、“ツインフィン”は私の手でも握りやすいし使いやすいので」


ツインフィンは料理を楽しむ愛好者にも向いた、軽めの包丁だ。

丹羽「あのタイプの包丁は、冬場に握った時とか、普通はヒンヤリするかも知れませんが、私の場合、刃付けの作業で、季節に関係なく、いつも手に冷たい水が掛かるんです。それが当たり前になっちゃっているので、気にならないんですよ。この手が職人の手? ・・・なんでしょうかね(笑)」



理想の刃付け職人を10としたら自分は5と、丹羽は語った。残りの5は、彼女には未踏の開拓すべき分野であり、ツヴィリングの包丁の“余白”とも形容できる。その余白に、彼女は、その職人の手で何を書き足すのか。答えは、ツヴィリングの包丁の“これから”に包摂されているはずだ。


インタビューと文: 三坂陽平
協力: ツヴィリングJ.A.ヘンケルス ジャパン 関工場