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■ 3月31日から4月29日にかけて、時計をフィーチャーいたします。







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■ ユーさんはマンガ研究に携わっているわけですが、前段階として、ひとりのマンガ好きだったわけですよね? その頃のことを聞かせてください。

Y: 子供の頃となるとあまり覚えていないんですが、『ドッジ弾平』のアニメが大ヒットしていて、子供たちはバレーボールに炎のマークを描いて投げて遊んだりしていました(笑)。あとは『セーラームーン』とかもありましたね。私が子供だった’90年代は、韓国でもいろんなマンガ雑誌があったんです。今はほとんどウェブトゥーンになって消滅しましたけど。


■ 韓国では、'98年まで日本の文化が解放されていませんでしたが・・・。

Y: '98年以前にも、日本のマンガは一部海賊版やライセンス版として入ってきていました。しかし、私の両親を含め、大人は「マンガなんて!」という感じでしたし、私もマンガ雑誌を初めて読んだのは、小学四年生の頃でした。韓国のマンガ雑誌は、少年向けと少女向けがはっきり分かれていて、男子が少女向けのマンガを読むとかは滅多になかったんです。異性の兄弟、姉妹がいるなどの場合は、例外でしたけど。


■ ユーさんの場合は?

Y: 私はいとこのお兄ちゃんと凄く仲が良くて、お正月やお盆など、一緒にマンガを読んだり、貸し本屋さんに行ったりしていました。彼は日本の文化に凄く興味があって、実は私が日本に興味を持ったのも彼の影響なんです。私が好きだった『ふしぎ遊戯』(少女マンガ)を、そのお兄ちゃんが揃えていたとかもありました。私は借りてでしか読めなかったのに(笑)。


■ 京都国際マンガミュージアム 外観


■ その後、ユーさんは韓国のアニメーション高校に進学し、マンガを専攻して学ばれたわけですが、それまで好きだったモノを学ぶって、いかがでした?

Y: マンガの法則が分かって感激する反面、今まで神様だったマンガ家さんも実は計算して描いているかもしれないと思い、ショックを受けました(笑)。それでも尊敬しているんですけど。だから好きなモノを学ぶって、その両方があると思います。


■ 「知る」ということは、良くも悪くも、その人を変えることですからね(笑)。日本だと、専門性のある学校に行っても、結局はまったく関係ない職業に就く学生も珍しくありません。ユーさんが「この道を行くんだ」と決められた契機はあったんですか?

Y: 特にはありません。高校がマンガ関係の高校だったので、そこに入った時点で決意が固まっていたというか、大学に入った時も「これしかやっていけることはない」って感じでした。そもそも、辞めようと思ったことがないかもしれません。よく冗談で言うことですが、私は高校の時にマンガと結婚して、離婚という選択肢はなかったんだと(笑)。たまに気まずくなる時もあるんですけど(笑)。


■ なんとか別居には至らずに、と(笑)。職業選択の際に「好きなことを仕事にしない方が良い」と言う人もいますが、ユーさんにはあてはまらない感じですね。

Y: でも、そう言う人の気持ちも解ります。やっぱり仕事は楽しいだけじゃなくて、つらいこともあります。その時は、もともと好きなモノであるだけに、ストレスが増える。マンガが好きでこの仕事に就いたのに、「マンガがあるから、こんなにつらいんだ」と思ってしまうことが、私にもあります。でも、好きだから、自分で選んだんだから、他人のせいにはできない。だから頑張ろうって気持ちにもなれるんです。だから両方あると思います。


■ 先程いろんな仕事があるとおっしゃいましたが、つらい仕事内容とは、たとえばどのような?

Y: どの仕事も長期間続かなければ大丈夫なんですが、最近は出張が重なるとつらいですね(笑)。昔から出かけるのは好きだったんですが、最近では、もっと速く飛ぶ飛行機があったら良いのにと思います。海外に行く仕事が多いので・・・。


■ わかります。二十代の頃は良いんですが、三十代になると移動がつらいんですよね。

Y: そうですね(笑)。