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■ 3月31日から4月29日にかけて、時計をフィーチャーいたします。







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■ 昨今では、エッセイ漫画というのが、ジャンルとして確立されていますが、漫画のエッセイというものについてもお聞きしたいんですが・・・

Y: ああ、でも僕はあんまり他の人のエッセイ漫画とか、読まないですからね。ただ、商業誌に載っているエッセイ漫画は、商業誌が載せるくらいですから、みんな面白いんだと思いますよ。僕が興味ないだけで。僕自身が、結婚もしていませんから、子育て漫画とか読んだって、ねぇ(笑)?


(C)ゆうきまさみ・KADOKAWA
「月刊ニュータイプ」2005年12月号掲載


■ 役に立ちようがない(笑)。確かに実用書みたいなエッセイ漫画も、最近は多いですよね。そうすると『はてもの』は・・・

Y: 何の役にも立たない(笑)。何の教科書にもならない(笑)。2005年12月~2006年3月号に掲載された「絵はいかに出来上がるのか?」なんて、自分史みたいなところもありますから、年寄りの昔話ですよね(笑)。読む人にとって、ここから学ぶことはあるのか?(笑)


■ バイアスが掛かってはいるけど、昔の物事を伝えるのには役立つかも知れませんよ(笑)。先生ご自身にとっては、どうですか? この時、こんなことが描きたかったんだと、再確認されるようなことは?

Y: そうですね・・・よく「同人誌とかだと描きたいことが描ける」と言う漫画家さんがいますけど、凄いなと思うんですよ。というのも、僕は、自分の中に描きたいことってないんですね。描いてみたいなと思うことは、世の中の出来事だったり、他の作品だったりにインスパイアされたものなので。


■ 『パトレイバー』にしても、既存のロボットものに対して、破壊工作のためではないロボットはないものかと、お考えになったところから始まった。『はてもの』で、そうおっしゃっていましたね。

Y: はい。なので、そんな漫画家が商業誌で連載をもらって、ここまで来られたのは、運が良かったな、と。


■ しかし先程の、商業誌が載せる以上、その漫画は面白いという理論に従えば、それは先生の漫画が面白いから、に尽きると思いますよ。それに、他からの刺激に対して、反射神経で描かれたのが、先生のこれまでの作品だとすると、先生が周囲の物事に反応して描き続けている『はてもの』は、究極のゆうきまさみ作品と言えるんじゃないですか?

Y: まあ、読んだ人に面白がってもらえたら良いんですけどね。別に、特定の層に訴えるとか、マーケティングを基に、ターゲットをしぼって描いているとか、僕のどの作品でもそうですけど、そういう描き方をしたことはないですから。古いタイプの漫画家なので(笑)。


■ この30年、『はてもの』の連載を、もう辞めたいな、とか思われたことはありますか?

Y: 以前、3ヶ月ばかりお休みを、つまり休載をさせて頂いたことがあるんです。その時は、週刊連載との板ばさみになってしまっていて、忙し過ぎて、もう辞めようかな、と思ったことはあります。もうそろそろいいんじゃないか、と。でも、「NT」の創刊以来、ずっとここまで連載させて頂いていることだし、やるかぁ、と思い直して、ここまで来て、来月も描きます。


今年も、黄色に染まった街路樹の間を、冷たい風が吹き抜け、ヒイラギやヤツデの花が咲く季節がやってきた。しかし、どんなに美しく花が咲いていても、それに名前を付けるのは、花ではなく人である。同じように、ゆうきまさみも「エッセイを描こう」として描いてきたワケではなく、ただ、面白い漫画を描こうとしてきただけなのではないか。そしてそれを他人が「エッセイ」と呼ぶだけのことかも知れない。

(C)ゆうきまさみ・KADOKAWA
「月刊ニュータイプ」2001年11月号掲載


これからも、季節が巡り、花が咲いて散るかたわらに、『ゆうきまさみのはてしない物語』は続いていくだろう。ただし、それはエッセイとして、というより、エンターテインメント性を希求した「漫画」として。



Y: こうなったら「NT」が休刊になるのが先か、僕がいなくなるのが先か、です(笑)。「もう面白くないので結構です」と云われるまでは、やっていこう、と。


インタビューと文: 三坂陽平
取材協力: 柴田夏実(KADOKAWA)