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■ 12月31日~1月30日にかけて、「エッセイ(随筆)」をフィーチャーします







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編集余談

お正月気分も一段落した今日この頃、皆さん、こんにちは。たぶんコレ、一月のうちには公開されているはずです。二月とかだったら、時期はずれな話題になってしまいますが、ひとつお付き合いください。今回は年賀状について。

年賀状とは、葉書で新年を言祝ぐ、新年を迎えるにあたっての儀礼のひとつです。あらかじめ申し上げておきますと、年賀状の利用数が減ること自体は仕方ないと思います。だって日本の人口そのものが減少しているし、ヴォリューム・ゾーンであった世代も軒並み高齢化して、葉書のやりとりどころではなくなっていたりしますからね。

しかし若い世代でも、年賀状を出さない人は多いみたいです。先日知り合った大学生にもちょっと訊いてみたのですが、「高校時代まではめっちゃ出してました」とのことでした。なるほど。ちなみに私の周りにも出さない人はいますが、彼らの理路は私には解せません。

年賀状を出さないことで得られるメリットは、はっきり言ってありません。つまり彼らは実利的な理由から出さないのではない。推測でしかありませんが、彼らは「面倒臭い」という感情を第一に優先しているだけだと思います。「新年に葉書出すとか、マジ意味わかんねえよ。だりぃし。俺ぁそんなのに乗らねぇぜ」てなもんでしょう。たぶん。だって「出さない」ことで彼らにメリットはないんですから。

では、出さないことでのデメリットとは何か。

先述のように、年賀状は共同体、共生体の間での儀礼です。文書で新年の挨拶をする。これは日本では存外に歴史が古く、奈良時代にはもうそういった風習があったと伝えられています。

要するに、現行世代が生まれるより遥か以前からある風習なわけですから、それに反発するのは、「私は社会に受け容れられなくても構わない」と宣言するに等しい。社会なり世間なりに後から参加してきておいて、そこの風習や風儀に「だりぃからそんなのやらねぇ」では話が通りません。私達は世間に対し、常に「遅れて来た者」の立場なのです。よって、世間の風習に反発するなら、世間もまた「遅れて来た無礼者」を無視するか冷遇するか、となります。

実際、私が年賀状をやりとりする人を見ると、皆、既婚者か自営業の人です。彼らは、所属する世間や共同体の風儀やルールを守る意味を、無意識にかもしれませんが、体得しているのだと思います。

「うるせぇな、年賀状を出すも出さないも俺の自由だろ」と言うんでしょう、たぶん彼らは。確かに自由です。しかし、それは「挨拶をするもしないも俺の自由だろ」と言っているのと同様であって、その自由は彼らに利するところが何もありません。ほんとうにない。だから私には彼らが「年賀状を出さない」という選択肢をわざわざ取る理由が解らないのです。


(三坂陽平)