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■ 5月31日~6月29日にかけて、「エッセイ(古典)」をフィーチャーします







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編集余談

大阪でインタビュー取材をする。取材相手はどういう人であったかなどはここでは言えないけども、たぶん2、3ヶ月以内にはインタビュー記事として公開されるんじゃないだろうか。このまま穏当にいけば(いくといいなぁ)。

相手の方は、インタビュー前日に(職業に準じた)講演をされたらしい。聴衆は9割以上が女性だったと聞く。

凄いなぁ、と素直に私は思う。別に皮肉だとか、へりくだって言っているとかではなくて、単純に私には到底できそうにないことだと思うのである。そこに何人いたかは分からないけれど、たぶん10人以上はいただろう。それがほぼ女性とあった日には、私などはしどろもどろになってしまいそうである。レンタル・キャット状態。まぁそもそも向こうも(つまり女性側も)私の話なんか時間を割いてまで聴きたいとは思わないだろうけど。

ノンフィクション作家、高橋秀実さんがどこかに書かれていたが(どこだったかな)、講演をしても聴衆が男性だと、まるで無反応であることが多いらしい。滅多に笑ってくれない。ずっと無表情。まるで石に話しかけているようだと、確かそんなことを誰かの体験談として叙しておられた覚えがある。

う~ん、それはそれでつらいものがあるだろうな、と思う。講演というのは、もちろん人によるかもしれないけど、呼ばれた人はせっかく呼ばれたからにはと精一杯面白い話をするはずである。私ならそうすると思う。聴衆の皆さんもせっかくお時間を割いて話を聴きに来てくださっているんだから、と。

それで無反応だと、やはり多少は落ち込むだろうと推察する。そりゃ反応なんて人によって様々だという所はあるかもしれない。当然だろう。でも、相手が目の前にいるのに反応が全くないというのは、いささかきついものがある。

だから、それで言えば聴衆は女性の方が望ましい。それは確かだと思う。話す側が冗句を言ったら(面白いかつまらないかは人によるものとして)、多少なりともクスクス笑って頂ければ、話し手も救われるというものだ。冗談やシャレを言うのは、相手に笑ってほしいと願っての場合もあるし、その話の緊張感や整合性を一旦チャラにしたいと思っての場合もある。いずれにせよ反応がないよりはある方が好ましい。私が話し手なら間違いなくそう思う。言い換えれば、往々にして男性には思いやりが欠けているのである。

つまり(大半の)女性は、そういった意味で優しいのである。じゃあいいじゃないか、と思われるかもしれない。違う。(大半の)女性は優しいと考えているからこそ私は、大上段から女性に対してあれこれ申し上げるのに、多大なる逡巡を感じるのである。

なにしろ私は(紛れもなく)男性である。前言いわく「往々にして思いやりが欠けている」方。その私が女性に対して何か言う? 恐れ多すぎやしないか、ちょっと。そんなのはキリスト教徒がキリストに向かって講釈をするようなものではないか。人は皆、例外なく女性から創られたわけだし。飽くまでも個人的な女性観ではあるけれど。

インタビューの相手は男性だった。そして今も男性のはずである。だから私は「女性ばかりを相手に講演できるのは凄いな」と思ったのだ。もちろん、彼にそれだけの知見が備わっているからこその芸当であろう。そういう人へのインタビューがどんなものになっているか。乞うご期待。


(三坂陽平)