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■ 3月31日~4月29日にかけて、「日本の寺」をフィーチャーします







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編集余談

お寺を巡る。巡って何が面白い。たぶん、寺院巡礼を趣味にされている方が、一度は連れ合いや知り合いに訊かれたことがある質問だと思う。訊かれたことがない人でも、ハッと冷静になって自問自答したことがあるのではなかろうかと愚考する。どちらもなければ、すみません、余計なお世話ですよね、と深謝しておく。

実際に寺院を訪ねる。多いのは、定年後の人々、外国人観光客(もしかしたら観光客ではないかもしれないけど)、若い女性のグループもちらほら見かける。要するに「寺を巡るのは主にこの客層だ」とシンプルに一括りにはできないということである。

さすれば寺院を訪れる動機も皆さん一様ではないだろう、と想像する。Siriに「このへんの名所を教えて」と訊ね、その答にしたがって訪れた人もいれば、読んだ本にインスパイアされて、ガイドブック片手に訪れる人もいるだろう。

しかし、わざわざ訪れるということは、そこに何らかの非日常性、つまり日常ではなかなか味わえないたぐいの何かを求めてやってくるのではないだろうかと思う(家や職場など日常世界で体験できるものなら、わざわざ行くまい)。それが寺院を訪ねる面白さとイコールになる人もいるかもしれない。

一方、住職やお坊さんなどにとっては、お寺が日常である。

たとえば、海が家の近くにある人に「へぇ、海がすぐ傍にあるの、良いねぇ」と言ったとする。海が身近にない人にとっての本音ではあろう。しかし返答はだいたい「そう見えるかもしんないけど、結構面倒よ。潮風であちこち錆びるし、このご時世だから仕方ないかもしんないけど、津波が来た時の避難対策だとか、いろいろ役所は言ってくるし」というようなものに落ち着くはずだ。

人は、非日常的な空間に関しては都合の良い面しか見ない。逆に日常においてはネガティヴな側面ばかりに目がいく。そういうものなのであろうか。テーマパークで働いたことがある人は、そんなにテーマパークに行きたがらないものである。どうしても非日常性に浸れないからね。

寺院の傍にはお墓がある場合がある。そこで、僧侶見習い(なのか何なのかはわからないけど)のティーンネイジャーが何人かで、先生の僧侶(だろう)に見守られながらうろうろしているのを見かけた。彼らにとってはお寺やお墓が日常のはずで、つまり私とは見る目が違うはずである。

だから、もしかしたら彼らにとっては私の日常が非日常なのかもしれないな、と思いながらこの原稿を書く。こんな「人を諭しどころのない」文章、彼らは書くことはないだろうからね。


(三坂陽平)