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■ 3月31日~4月29日にかけて、「日本のお菓子」を取り扱います







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編集余談

ブログであれ、ルポタージュであれ、あるいは文学作品であれ、恒常的に物を書く、いわゆる物書きなら、自分が過去に書いたものを見て一度はこう思ったことがあるんじゃないでしょうか。「今ならもっと上手く書けるのに」と。不肖ながら、私も思います。自分が過去に書いた記事はもちろん、およそ物を書くという営為の私的原点である、大学時代の論文に対しても━━。

大学時代の論文は、さすがにもうファイル自体残っていないし、記憶にもない。けれど要旨だけは、今でもインターネットでアクセス、閲覧可能なんですね。で、ちょっとした機会があって、おそるおそる見てみました。10年以上ぶりに見る昔の自分。うん、ダメダメです。要旨だけ見て分かるほどダメダメ。「マジか」と愕然としました。

断っておきますが、今の私には文才があるなんて言うつもりではありません。しかしそれにしても、こいつはひどい。私が先生なら、単位が取れるギリギリしか(卒業が懸かっていましたからね)点をあげないんじゃないか。なんでこの文章力で80点以上取れたんですか、先生。本人が誤解してしまうじゃないですか。恩師に責任転嫁をするのは、人間としていかがかとは思います。しかし、それをしたくなるほど理解に苦しむ、出来と評価の激しい乖離がそこにはある。

テーマは「ビートルズと英国メディア」。うん、テーマ自体は面白いと思います。それが昔の自分である(つまりほぼ他人ですが)ことを抜きにしても、研究の対象としては面白いと今でも思います。敢えて難点を揚げれば、当時の本人は肝心のビートルズの音楽を聴いたことがなかったという点でしょうか。

文章力はダメダメですが、その中で敢えて長所を揚げるとしたら、「こいつには何か言いたいことがあるんだ」と思えるところでしょうか。書いて表したい、読んでほしい、伝えたいことがあるんだ(小田和正みたいですね)という想い。それがあるんだ、だから要旨はほどほどにして、本体の論文を読んでくれ、という訴えが、過去の自分が書いた「要旨」には滲んでいる気がします。

他の人の要旨をざっと見て一番ありがちに感じたのは、「私はこれだけ調べものをしました、だから評価してください」と暗に訴えている要旨です。言いたいことなんかないけど、論文書くことになったから、とりあえずやります。ほら、ちゃんと色々と調べてあるでしょ、だから評価してよ。文章の良し悪し以前に、こんな動機で書かれた文章なんて、誰も読みたくないような気がします。私も、そこまで偉そうに言える身分では決してありませんけど。

文章力や文体、リズムなどはむろん大切なんですが、何にもまして大切なのは、「言いたいことがある」心性なんじゃないかと、過去の論文要旨を見る限り、思います。言いたいことがない、つまり中身なんか何だっていい文章なんて、どれほど上手でスタイリッシュだとしても、それはちょうど住人を宿したことがない豪邸のように、空虚なものではないでしょうか。

恐らくですが、こういった人たちは過去の論文要旨を見て、「今ならもっと上手く書けるのに」とは思わない。「頑張ったよねぇ、論文書くとか、今もう絶対にムリ」と言うんじゃないでしょうか。もちろんそれはそれで良いのです。書くことがないのに、物を書く必要なんてないですから。

う~ん、過去の自分をチラッと読んだところから、思わず「物を書く」という営為についてまで話が及んでしまいました。でもそれくらい、「物を書く」って面白いことなんだと私は思うのですが、もちろんこれも人それぞれです。


(三坂陽平)