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『リンゴ村から』
三橋美智也が架橋する昭和と明治?

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みなさん、こんにちは。本日のお題は演歌歌手、三橋美智也さんのヒット曲の一つである「リンゴ村から」です。と言っても、三橋さんが亡くなられてもう20年以上が経ちますから、彼を知らないという人も多いでしょうか。

三橋さんは昭和5年、北海道にお生まれになりました。お母様が民謡の先生をされていたことから、幼い頃より民謡や舞台に親しまれていたそうです。歌手デビューは昭和29年。昭和後期には自らを家元とする「民謡三橋流」を創設されまして、この門下に千昌夫や石川さゆりが在籍と、こういう系譜になります。


昭和中期の三橋人気というのは、恐らく三橋さんを知らないみなさんの想像を絶するものと思います。正確なレコード売上枚数は判りませんが(オリコンが創業したのが昭和42年で、それより以前のことになるため)、一説には総売上は1億枚を超えていたとか。現在オリコンでの売上トップのB’zより売れたことになりますから、推して知るべし、です。

くだんの「リンゴ村から」にしても、売上は200万枚以上とされています。この曲の発表は昭和31年。敗戦が昭和20年、サンフランシスコ講和条約が発効されたのが昭和27年であることを考えると、当時を知らないかたでも、まだその頃は日本が貧しかったんだなと想像がつくのではないでしょうか。

そんな時代にレコードがミリオン・ヒットしたわけです。

当時の日本は貧しかったものですから、勢い、中央政府は人員を中央、つまり東京にかき集めることを急務としました。なにしろ戦争で大正生まれの7人に1人は死んだとされていますから、経済復興に必要な人手が足りない。そこで全国の地方から次男、三男、ときには長男ですら、東京に寄せ集められる方策が採られたのです。この名残は平成の今でもしっかり残っていますよね。

「リンゴ村から」の歌詞が唄っているのは、一言で言えば「ふるさと」です。遠き故郷の君想ふ、の世界。これが当時、故郷の家族に別れを告げ、夜汽車に揺られ、見知らぬ都会へ単身向かわねばならない人々にとって圧倒的なリアリティを持っていた。そういう歌は数多くありましたが、民謡で鍛えた土俗性を織り込んだ三橋さんの声で唄われる「リンゴ村から」は、とりわけ多くの日本人の愛郷心に響いたと思われます。

一つ意地悪な推量をします。この歌の作詞を担当したのは明治生まれの矢野亮さんでした。そして西洋リンゴというのは、実は江戸時代にアメリカから輸入されたものとされているわけです。平成に生きる我々にはそんな実感はない。けれど、明治生まれの人には、リンゴはアメリカのものだという印象が、まだ色濃くあったのではないでしょうか。恐らく。

つまり「リンゴ村から」には、アメリカの占領下を離れて頑張るんだという、当時の明治人の意志が隠されているのではないか、そしてそこに共鳴した日本人もまた数多くいたのではないかと、後世の身からは推測されるのです。戦後間もない頃の日本社会の中枢部を担っていたのは、明治人ですからね。彼らは昭和生まれの日本人に比べ、圧倒的にタフでシビアでクールだったはずです。なにしろ二度の世界大戦をくぐり抜け、辛亥革命や大恐慌もリアル・タイムで見てきた世代ですからね。そんな彼らが単なる望郷ソングで揺さぶられるとは考えにくい。

そういう意味では、三橋美智也さんの「リンゴ村から」は、明治人と昭和人を架橋した歌だったと言えるかもしれないわけです。

作品情報

・作詞:矢野 亮
・作曲:林伊佐緒
・編曲:林伊佐緒
・歌唱:三橋美智也
・発表:1956年5月
・レーベル:キングレコード





 

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