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ニューハード ケアS
風前の灯火であろうボールペン

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二〇一六年、ゼブラの「ニューハード」の記事を書いた。念のために言うと、ゼブラとは、十九世紀末の一八九七年に東京で創業した文具メーカーである。当初はペン先を作っていたらしいのだが、日中戦争や太平洋戦争を経て戦後となった一九五〇年代、ボールペン製造に着手。二十世紀後半にはパイロット社と並ぶ日本のボールペン・メーカーと目されるようになった。

「ニューハード」はゼブラのボールペンの代表的存在だった。少なくとも、前世紀末から今世紀初頭にかけては、日本各地でそうだったと思う。下の写真が「ニューハード」であるが、たぶん現在(二〇二四年)二十五歳以上の人なら見覚えがあるのではなかろうか。



「ああ、これかぁ。はいはい、見たことある」

多くの人がそう思うのではないか。

私が思い出す限りでも、学校や会社の事務机にはこのシンプルなボールペンがよく置かれていた。会社に(社員であれアルバイトであれ)入ったら、最初に支給されたのはこのボールペンと制服だった。そう思い当たる人も全国に多くいるはずである。

先に書いた通り、ゼブラ社は前世紀半ば、ボールペン開発に乗り出した。そのうち、より使いやすいボールペンを作ろうということで、彼らは自社製品に、二つの改良を施す。一つはインクがペン内部にできるだけこびりつかないようにすること。もう一つは、インクの残量がユーザーに一目瞭然で分かるよう、ペンをスケルトン仕様にすること。

そうして一九六七年、同社は「ゼブラクリスタル」を世に出す。ただし、この商品は口金部分(芯が出ていない状態でのペン先部分)がプラスチックで出来ていたため、堅牢性に問題があったとして、八五年に製造終了。その後継ぎとして、口金を金属製にした「ハードクリスタル」がリリースされた。「ニューハード」はその姉妹商品である。

時代は、高度経済成長期から金融バブルにかけての頃で、多くの企業が勢いに乗っていた。勢いがあれば、企業に雇われる従業員の多くは仕事に追われる。ゼブラ社のシンプルで頑丈かつ使いやすい、実直なボールペンは、全国の会社員の仕事を静かに、堅牢に支えてきた。そう言っていいと私は思う。

さてしかし、今私は「ニューハード」の記事を取り消し、その替わりにとこの記事を書いている。理由は二〇二一年、ゼブラ社が「ニューハード」の生産を終了したからである。

国内においては、人口減少に歯止めがきかない。日銀やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の投資による官製株高があっても、企業や商店の業績は均して見れば悪化の一途。おまけにパソコンやタブレットが普及し、職場で実際に文字を書くという作業の総量は、間違いなく減った。大企業と呼ばれる会社は「環境に優しい」と「業務の効率化と最適化を図っています」を株主にアピールするため、ペーパーレス化を推進している。人口や会社の総数が減少し、文字を書くという作業も全体的に減っている。そんな状況下でボールペンの売上向上など望むべくもない。生産終了は当然の帰結であろう。

現在(二〇二四年二月)同社の公式サイトには、ニューハードの一種「ニューハード ケアS」が商品として掲載されている。インクの色は黒、青、赤の三種類。



「ニューハード ケアS」

インク色:黒
重量:7.9 g
芯:0.7 mm
価格:税抜80円

とはいえ、この「ケアS」も風前の灯火ではあろう。少なくとも上記の趨勢が続く限り、このボールペンに限らず文房具産業が再び勢いづく可能性は、特にこれといって考えつかない。

最早ボールペンは実用品というより、趣味の領域に属するものなのだと思う。観光地でご当地マスコットの付いたボールペンを買うとか、あるいは「自分へのゴホウビ」として、ちょっと高級なボールペンを買うとか。そういう時世にこの趣味性皆無の実用重視、質実実直なボールペンが、いつまで大量生産工業ラインに残れるか。オプティミスティックにはなれないだろう。

個人的にこの「ケアS」の消滅を望んでいるわけではない。むしろ、なんとか世に残ってほしいと思っている。できれば従来の形で、つまりデザインに愛想はないけれど実用性は確かだと言えるようなボールペンとして。それが難しいことは重々承知しているけれど。







 

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