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天の美緑
福岡の名産「八女茶」を使った緑茶焼酎

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こういう言い方はともすれば当地の人をやや不快にさせてしまうかもしれないけど、個人的には福岡と聞くと、思い浮かべる食べ物はラーメンとか明太子になる。飲み物なら、何年か前に福岡でお土産に買ったふぐのヒレ酒。これらの飲食物は、結局自分では食べたり飲んだりはしなかったのだが、なんとなくのイメージで「福岡」と結びついている。

もちろん、このイメージのいくらかは私の個人的な偏向に基づいていると見ていいだろう。しかしいくらかは「九州以外の地域に住む人」が福岡に持つパブリック・イメージと重なるのではないか。つまり福岡と聞いてお茶だとか焼酎だとかを浮かべる人は、いることはいるだろうけど、数としてはそんなに多くないんじゃないかということである。だとすれば、福岡県八女市の酒蔵「喜多屋」が地元の八女茶を使って造る緑茶焼酎「天の美緑」は、福岡らしくない酒だと言えるかもしれない。それが良いとか悪いとかの話ではなく。



「天の美緑」

アルコール:25度
価格:税込1,078円(720 ml)
蒸留方法:減圧
原料:米、米麹、八女茶(煎茶、玉露)

緑茶焼酎は、その名の通り緑茶の焼酎である。緑茶と聞くと(あくまで大阪で生まれ育った私の場合)静岡や京都が思い浮かぶ。福岡もお茶の有名どころではあるし、そのことは進んで認めるけど、静岡や京都を相手に向こうを張れるかとなると、ちと厳しいような気がする。

九州というのは茶葉生産においては結構な「激戦区」で、同じ九州圏内でも、福岡以外にお茶の名産県がある。鹿児島とか、宮崎とか。こうなってくると、九州で暮らす人の間でも、お茶と聞いてぱっと浮かぶ県は、案外ばらけるのではなかろうか。お茶っつったらやっぱ鹿児島だろう。いやぁ日本人ならやっぱ京都って答えないとまずいんじゃねえか、みたいに。

喜多屋がそういう小田原評定じみた雑駁な雰囲気を嫌い、福岡にだって立派な地元名産の茶があることを満天下に知らしめたいと志して、地元の名産である八女茶を用いて「天の美緑」を開発、生産した━━かどうかは知らない。多分違うと思う。あくまで私の想像だけど。



福岡県八女市の八女中央大茶園

出典:Yame Tea Plantation 03.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2012年4月18日)


喜多屋の創業は江戸時代後期にあたる一八二〇年。当初は米を商う米屋だったらしいが、間もなく日本酒造りを開始。これは江戸幕府が一八〇六年に出した「勝手造り令」が影響したものと思われる。

一八〇二年の日本では、水害により米が不作気味であった。幕府は米価高騰の抑制及び米の節約のために、酒造を制限。当然、酒屋は業界をあげて猛反発して、翌〇三年には制限が撤回された。その後は豊作に転じたけど、そうなると今度は米がだぶつく恐れが出てくる。そこで幕府は「届出さえ出せば、誰でも(米を用いて)酒を造って構わんぞ」と触れを出した。それが「勝手造り令」である。十九世紀初頭の日本には「米をそのまま商うより、自分達で米から酒を造って売る方がいくらか利になる」という気運があったのだろう。喜多屋の初代が酒造に乗り出したのも、こうした流れと無縁ではないと思う。

その後、初代から二代目、三代目へ、四代目へと代替わりしながら、喜多屋は酒造りを続ける。海外の場合、こうした老舗の大多数は、時代が下るにつれて子孫の仕事が「先達のやってきたことを墨守する」に留まりがちになる。それが悪いというわけでは全然ない。むしろ大切なことだと思う。客が老舗に期待するのは、その「変わらなさ」や「相変わらずな感じ」であったりもするわけだから。しかし日本人の多くは、なぜか知らん、ゼロから一を生み出すことが苦手な代わりに、一に何かを足して二や三にしたがる。そういう国民的傾向があるように思う。私達の過半は、何も手を加えずに時間をやり過ごすことが、そんなに得意ではないのかもしれない。そこで日本の場合、老舗の子孫は往々にして「時代に合わせる」という名目で、先祖のプロセスを尊重しつつ、変化を加えていく。

今となっては「こんな時代もあったね」的な昔話になるのだろうが、喜多屋という屋号は彼らの社史から一時期姿を消していた。一九五一年から九二年まで彼らは白花酒造株式会社を名乗っていたのである。この社名は当時の主力商品「白花」という酒に由来するらしい。そして彼らが日本酒だけではなく焼酎も造り出したのは、まさにこの白花酒造時代(大まかに言えば「昭和中後期」)なのである。

なんだかいろいろとブレている。そういう印象を受けても仕方がないところであるが、彼らの屋号「喜多屋」は「酒造を通じて多くの人を喜ばせる」を志向してのものだという。であれば、彼らは「社名や商品などといった外的な意匠は時代に応じて移ろうもので、それは仕方ない。肝心なのは、良い酒を造り、それを一人でも多くの人に届けることだ」と代々考えてきたのかもしれない。もちろんそれはそれで一つの見解だろうし、それを難じるつもりは特にない。あえて言うまでもないことだが、ドリンカーにとって重要なのは、その酒が優れて美味であることであって、造り手の思想や考え方ではない。たぶん多くの酒飲みは、クオリティな酒が飲めるなら、それを造った人が善人か、はたまた人間的な落伍者かなどは、ほとんど問題にしないはずである。

ただし、喜多屋が「社名や商品などといった外的な意匠は時代に応じて移ろうもの」と考えているとすれば、この「天の美緑」も、いずれ何らかの要因から消えてしまうかもしれない。それは充分考えられるだろう。二〇二三年現在、喜多屋を仕切っているのは七代目当主だが、数年前に大学を出て山形の出羽桜酒造社で何年か研修を積んだ彼の令嬢が、やがて八代目として跡を継ぐことが決まっているという。その際にどういう変化が起こるかは、さしあたり誰にも分からない。

つまり「機会があれば、店頭に出ているあいだに一献試してみては?」ということですね。


喜多屋 - 日本酒(地酒)と本格焼酎、福岡・八女の蔵元







 

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