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源氏物語絵巻
妄想、できますか?

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「源氏物語絵巻」は、平安時代末期に書かれたとされる絵巻物で、現在は国宝に指定されている。一説には、絵巻物というメディアは12世紀に成立したというから、国宝「源氏物語絵巻」は絵巻物の草創期の作品と言えよう。日本のマンガで言えば、田河水泡の『のらくろ』みたいなポジションか。

「日本のマンガで言えば」と書いたが、絵巻物には、その後のマンガに通じるものがある。橋本治はそう言った。なにしろ、絵と文章(詞書)で物語を伝えるのが絵巻物なのである。そういうメディアが、およそ千年も前に日本では人口に膾炙していた。だからこそ、その後の日本でマンガというメディアが発達したのではないかと。私は、絵巻物は、絵本の原型ではあるんだろうな、とは思うけれど。

ともあれ、絵巻物は絵と文章(詞書)で物語を伝えるもので、だからそこには「物語」が必要とされる。ご承知のように『源氏物語』は、平安時代に紫式部が叙し、大ヒットした文学作品である。絵巻物の草創期に『源氏物語』をネタにした絵巻物が成立したのは、歴史の必然というものであろう。ともすれば、それまでは文字や言葉でのみ語られてきた『源氏物語』を、視覚的にも楽しみたいという欲求があり、それに応える形で絵巻物というメディアが生まれたのかもしれない。

やがては歴史上の政変劇や政治スキャンダルを描いた絵巻物も出てくる。たとえば「平治物語絵巻」や「伴大納言絵巻」のような。しかし、当時としては、何をおいても『源氏物語』をヴィジュアライズしたいということだったのかもしれない。

さて、ところで実際に「源氏物語絵巻」を観賞して、あの絵を「綺麗だな」とか「美しい」と思われるだろうか? もちろん、人によって感想はまちまちであろう。個人的な感想を言わせてもらえば、詞書の部分は、観ていて心底「きれいだなぁ」と感じ入る。これは本当に綺麗だと思う。描かれた当時はもっと荘厳だったかもしれない。



『源氏物語絵巻』詞書(橋姫)
徳川美術館蔵
出典:Genji emaki HASHIHIME Ms.JPG
from the Japanese Wikipedia
(2020年7月1日)

一方、絵のほうはというと、今ではだいぶ経年劣化が進んでいるが、エイジングを別にしても、そこに描かれているキャラクターの表情が気になる。皆、気取っているというか澄ましているように見える。それが高貴な表情だと言われれば、庶民の私には返す言葉もないが、彼らの表情はどうにもうつろで、そこには寂しさすら感じてしまう。私が、マンガやアニメで「キャラクターを観て楽しむ」に慣れた現代人だからなのだろうか?

この時代に、表情を描く技法が未発達であったとは考えにくい。それは、同じ平安時代に成立したとされる「地獄草子」や「餓鬼草紙」を観ればわかる。つまり、これはこういう表情を描こうとして描かれたものであろうということである。

そして、もしかしたらこれでいいのかもしれないとも思う。だってこれは『源氏物語』を視覚化したものなんだから。



『源氏物語絵巻』柏木(二)
徳川美術館蔵
出典:Genji emaki Kashiwagi.JPG
from the Japanese Wikipedia
(2020年6月30日)

「『源氏物語』がよくわからん」という男は昔からいて、本居宣長はそういう男達を難じた。つまり、並の男には『源氏物語』は「よくわからないもの」であって、それなら『源氏物語』は「女による女のための文学」とも言えるのである。

女というのは、大なり小なり妄想が好きである。なんせ「妄想」という字には「女」が組み込まれているくらいである。

女は『源氏物語』で豊かに妄想する。そこで必要になるのは、悲劇とか薄幸という要素である。どういうわけか、女は(妄想の中においては)幸福よりペーソスを求めるのである。主人公が幸福に過ごすシナリオより、次々と哀しみに出会う物語のほうに、女はそそられる。なんなら、それを「耽美」とか言ったりもする。

『源氏物語』に必要なのは薄幸とか寂しさとかのペーソスで、それゆえ「源氏物語絵巻」の絵も、そういう要素を含んだものになるのだろう。当時の女官や女御も、こういう絵を観て、心豊かに妄想に励んだのかもしれない。






 

平治物語絵巻
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