卒爾ながらお訊ねします。あなたは「平治の乱」と聞いて、その説明が出来るでしょうか? 私の勝手な思い込みかも知れませんが、大方の人には難しいんじゃないかなと思います。私も、今回の記事を書くまで「平治の乱って何?」状態でしたから。
中学生の受験勉強なら、たぶん「1159年、平治の乱」と丸暗記すればそれで済むでしょう。高校になって「日本史」を選択したという人なら、おそらく「後白河天皇の部下達によるクーデターで、この乱の敗軍に属していた源頼朝(当時、数えで14歳)が伊豆に流された」くらいの説明は出来るかも知れません。歴史好きなら、説明に熱が入って1時間くらいは語れるのでしょうが、私の周りにはそういう人がいないんですよね。残念ですが。
つまるところ平治の乱は12世紀中盤の
政変劇なのですが、そこから100年ほど経った13世紀後半、その政変劇を描写した絵巻物が成立します。それが『平治物語絵巻』です。
『平治物語』は平治の乱を主に扱う軍記物語で、当然、成立はこの絵巻物より以前とされています。今回はその軍記物には触れません。あまりにも話が長くなりますから。ともあれ、この軍記物をベースにした絵巻物(12世紀に成立した、絵本の原型みたいなもの)が『平治物語絵巻』なのです。ちなみに作者は不明とされています。
この『平治物語絵巻』で現存するのは主に3点。ボストン美術館蔵の「三条殿夜討の巻」と、静嘉堂文庫美術館蔵の「信西の巻」、東京国立博物館蔵の「六波羅行幸の巻」です。あとは「六波羅合戦の巻」が断簡(切れ切れになった絵や書物)として、あちこちに分蔵されているらしいですが。
『平治物語絵巻』三条殿焼討
ボストン美術館蔵
出典:Heiji no ran.jpg
from the Japanese Wikipedia
(2009年10月21日撮影)
平治の乱はクーデターで、このクーデターの主犯格は藤原信頼という藤原家の貴族なんですが、この人が後白河上皇の「男の愛人」だったんですね。時代は平安で、貴族が鎧を着たりするなど、武士の真似をする必要は特にないはずなのですが、信頼はその「武士の真似事」が好きだったようです。鎧を着たり、刀を
佩いたりするのが好きだった。そして後白河上皇も、そんな信頼を「ほっほっほ、可愛いやつよ」と寵愛していた。
これだけなら「お戯れ」で済むのですが、この信頼は「勇ましくありたい」という想いが暴発して、なんと後白河上皇の御所、三条東殿に火を放ち、上皇と上皇の息子の二条天皇を拉致、幽閉してしまいます。上皇と天皇を排し、信頼が権力の座に就こうというクーデターです。襲撃が行われたのは、1159年12月10日未明。その様子を描いたのが「三条殿夜討の巻」です。
ヒーローのコスプレをしているうちに「俺はヒーローだ、強いんだ」と錯覚して皇居に火をつけた。これが藤原信頼で、はっきり言って、ただのバカです。これにはさすがの後白河も怒ります。12月26日、信頼は後白河に命乞いをするのですが、後白河は「おまえ、ふざけんなよ」とこれを斥け、翌日、信頼は六条河原で斬首されました。そりゃそうですよね。
『平治物語絵巻』信西
静嘉堂文庫美術館蔵
出典:Heiji.JPG
from the Japanese Wikipedia
(2009年9月9日撮影)
「信西の巻」━━まず
信西とは何者かと言いますと、後白河上皇の乳母の夫であり、上皇のブレーンでもあった僧侶です。後白河の父、鳥羽天皇の政治顧問でもあった人ですから、きっと政治知略に長けていたんでしょう。歴史物語の『今鏡』でも、信西の頭脳は称えられています。
信西は頭が良く、だからなのか、藤原信頼とは馬が合わなかった。信頼が三条東殿を襲撃したのは、信西を亡き者にするためでもあったのです。火は、都中にある信西の私邸にも放たれました。信西自身は事前に危険を察知し、逃亡するのですが、12月13日、信楽山中で「最早これまで」と観念し、自害。同月17日、信西の首は獄門にさらされます。その図が「信西の巻」です。気の毒と言えば気の毒ですね。
「六波羅行幸の巻」━━幽閉されていた二条天皇は、12月25日の夜、女装して脱出、女車に乗り、検問を突破して、六波羅にある平清盛邸に逃れます。その様子を描いたのが「六波羅行幸の巻」です。六波羅というのは京都の地名で、清盛達の一族「伊勢平氏」は、そこを拠点としていました。この時代の天皇はあまり外出しません。だから、天皇が一時的にでも訪れたら、それはもう「
行幸」になる。清盛にとって自邸に天皇をお招きしたことは「光栄の極み」だったのではないでしょうか。
それにしても、なんで13世紀後半にもなって、100年も前のクーデターの絵巻物をわざわざ作ったんでしょうか。そのあたりは、実は判っていません。ただ、当時の風俗や流行を思えば、一つの仮説が浮かんできます。もっとも、それを語るのは『源氏物語絵巻』の稿になりそうです。いつのことになるか、私にも判りませんが。