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矜羯羅童子像
不動明王の脇に立つ童子

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以前、私は「運慶の彫像」と題する記事を書き、こう結んだ。「鎌倉時代より後になると、日本の美術史に残るような彫像はほぼないという」と。もちろん日本の美術史において、運慶の没後から現代に至るまで彫像作品が一個も作られなかったというわけではない。にもかかわらず、私はああいう記述で記事を締めくくった。それはなぜか? その理由を語るため、今一度運慶の作品(と伝えられるもの)を取り上げたいと思う。和歌山の高野山金剛峯寺に蔵されている矜羯羅童子(こんがらどうじ)像である。

高野山金剛峯寺といえば、弘法大師こと空海が開いたとされる高野山真言宗の総本山である。個人的にも高野山には馴染みがあるといえばあるのだが、ここ何年かは「コロナ禍」もあり、長らく行っていない。なにしろ、他県ナンバーのクルマで和歌山県内を走行したら、石やビンを投げつけられかねない世相である。迂闊に行けはすまい。世間では「コロナ禍」はもう終息したと目されているらしいが、「私達の隣人の中には有事の際にああいう悪行に平然と走る輩が結構な割合でいる」という教訓は忘れない方がいいような気もする。

それはともかく、真言宗は不動明王を信仰する宗教であるらしく、その偉大な不動明王の周囲には、従者が付いたりもする。従者の数は宗派や時代によってさまざまだが、彫像や絵画では、矜羯羅童子と制吒迦童子(せいたかどうじ)の二尊を不動明王の両脇に配する三尊形式がポピュラーであるという。

ありし日の運慶も、矜羯羅童子の彫像を作った。金剛峯寺に収蔵されているのがそれである。見た目は十代半ばくらいの少年だが、どことなく見覚えがある感じがするのではなかろうか。少なくとも私はする。この像は、私が知っている誰かに似ているような。



金剛峯寺にある運慶作(伝)・矜羯羅童子像
(国宝/1197年完成)
出典:KONGARA DOJI KIMKARA KOYASAN.JPG
from the Japanese Wikipedia
(パブリック・ドメイン)

岡崎体育?

あるいは、駅前の弁当屋の店主に見えなくもない。

そう思ってしまうくらい、この矜羯羅童子像は生き生きとしているというか、妙に親近感が湧く。別の言い方をすれば、すこぶる人間くさい。

前述の記事で私は「なんとなくではあるが、運慶は肉体性を追求したというより、肉体性もコミで『人間』を彫ろうとしたのではないかという気がする」と叙した。この矜羯羅童子像にもそれは言えるだろう。面構えはふてぶてしく、やたらと人間味が溢れている。

ただ、「如来やら明王やら、スーパーナチュラルなものを信仰対象とする仏教にあって、ここまで人間くさい彫像はアリなのか?」という疑問も、ないではないだろう。

平安時代に定朝が作った阿弥陀如来坐像と、この矜羯羅童子像とを比べると、私の言っていることは伝わりやすいかもしれない。どちらの像が見る人の宗教心をそそるだろうか? どちらがより超越的で高尚に見えるだろうか? 感じ方は人それぞれだが、たぶん多くの人は「定朝の彫像」と答えるだろう。矜羯羅童子像は見事なまでに人間的で、言い換えれば「身近に過ぎる」のである。



平等院の阿弥陀如来坐像
(国宝)
出典:Byodoin Amitaabha Buddha.JPG
from the Japanese Wikipedia
(2008年4月24日)

どう感じるかはまちまちであるが、阿弥陀如来坐像を見て「知っている誰か」を思い浮かべる人は、そんなにいないだろう。ただ「ああ、仏様だ」と思い、手を合わせる。それが阿弥陀如来坐像に対面した際に、多くの人が採るあり方だと思う。一方で矜羯羅童子像はどうか。拝むより先に、現実の誰かが脳裏に浮かび、思わず笑みがこぼれるのではないか。「これ、あいつじゃん」と。

矜羯羅童子像は、合わせた手に独鈷を持っているから、「これは仏教系の彫像なんだな」と了解できるが、独鈷がなかったら「町の相撲大会で上位入賞した力自慢の男子」に見えなくもない。私が「身近に過ぎる」と思う所以である。

定朝は平安時代の人で、ということは、平安時代にはもう「超越的なもの」は仏教系の彫像のスタイルとしては一つ完成していたのである。運慶はその後に活躍した、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての仏師である。定朝が完成させたスタイルは当然、承知していただろう。となると、彼が「既に『超越的なもの』は完成していることだし、私はそうじゃない方向へ行こう」と考えてもおかしくはないのである。

問題は、中世において、日本の彫像は「超越的なもの」も「人間的なもの」も一旦の完成を見たということである。そう言っていいくらいの充実さが、定朝や運慶の作品にはあると思う。ではファンタジーもリアリズムも出来上がってしまった後で、後世の人は何を開拓すればいいのか? 差し当たり、何も思い浮かばない。もうフロンティアは残っていないかもしれないのである。だからこの後、日本の美術史から「彫像」は姿を消すのではなかろうか。






 

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