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■ 9月30日から10月30日にかけて、「郷土料理」をフィーチャーします







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遮光器土偶
「どうして生まれてきてくれなかったの」

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昔、遮光器土偶が怖かった。ドラえもんの映画『のび太の日本誕生』に出てきたツチダマが怖かったからである。あれは怖い。観たことありますか? 粉々にされても、また元に戻るんですよ。しかも無表情だし。ツチダマに限らず、あの映画は何かと怖かった。そして長年、私の中では遮光器土偶とツチダマがイコールだった。当時の私は幼稚園や小学校に通う年頃で、それは刷り込みに近いものだったのかもしれない。



遮光器土偶

青森県つがる市木造亀ヶ岡出土
東京国立博物館蔵

出典:青森県つがる市木造亀ヶ岡出土
遮光器土偶-2.JPG
from the Japanese Wikipedia
(2017年11月3日撮影)




しかし私も長じて、それで遮光器土偶を見ると、また別のものが見えてくる。

遮光器土偶とは、縄文時代末期、つまり2~3千年ほど前の日本で作られた、人形ひとがたの粘土細工である。青森県の亀ヶ岡遺跡や宮城県の恵比須田遺跡など、主に東北地方で出土(発掘)され、それらは東京国立博物館や岩手県立博物館に蔵されている。遮光器土偶という名の由来は、目の形が遮光器(ゴーグル)をかけているっぽいから、とのこと。

主要な学説は、遮光器土偶は女性をかたどったものであると言う。学説は学説でいいのであるが、しかし私は、考古学や古代史に関しては門外漢のド素人のアッチョンブリケである。だからというわけではないが、私は定説とは異なる見解を唱える。私は遮光器土偶を見て、こう思う。

「これって赤ちゃんじゃないの?」

これが人形ひとがたであるなら、女性というよりむしろ赤ん坊ちゃうの、と思う。なぜかって? この横一文字の目である。目が小さくて横一文字に見える女性も、いないことはない。それは承知している。けれども、東北の広範囲にわたって「そういう女性ばっかり」だったとは、ちょっと考えにくくないか? それは現代でもそうだし、縄文時代末期でもそうだったはずである。



遮光器土偶

宮城県恵比須田遺跡出土
東京国立博物館蔵

出典:Dogū (figurine) - With
goggle-shaped eyes.JPG
from the Japanese Wikipedia
(2015年10月1日撮影)




翻って、生まれたての赤ん坊は、大抵こんな目をしている。光などない母親の体内から外界に出てきたばかりで、うまく目があけるということができないのだろう、それで赤ちゃんの目は(だいたい)横一文字になる。

なるほど、では遮光器土偶が赤ちゃんを模したものであるとして、それは何のために作られたのか?

ああいう外見のものが、赤ちゃんをあやすためのものだったとは考えにくい。たぶん赤ちゃんは、怖くて泣く。もしかしたら懐くかもしれないが、赤ちゃんにとっては人間のほうがよっぽど良いに違いない。当時の集落は、核家族ベースではなかったから、母親がなんやかやと忙しかったとしても、赤ちゃんの面倒を見る人は、母親以外にいくらでもいたはずである。祖父母とか、兄弟とか、近所のおじさん、おばさんとか。

あれは「赤ちゃんのためのもの」ではない。では誰のために赤ちゃんを模したのか? 恐らく「赤ちゃんに死なれた母親と父親」のためである。

当時も現代も変わらず、出産は命懸けの営みである。出産に際し、落命する母親は昔も今もいるし、いわゆる「死産」や「流産」━━つまり赤ちゃんが落命するケースもある。人が人として無事に生まれて育つことは、ほとんど奇跡に近いのである。2007年当時、どこかのパーな厚労相が「生む機械」などと言ったが、その比喩で言えば、機械から生まれた彼は機械に過ぎないはずで、彼のような(厚労相でありながら年金を滞納していたというような)ポンコツはさっさと廃棄されればいいのに、と私は思った。

話を戻す。現代なら死んだ赤ちゃんのために「水子供養」をするなどもある。しかし、縄文時代にそんな風習はない。まず宗教が体系化されていない。それでも、生まれてくるはずの赤ちゃんを失った親のやり場のない悲しみは、当時も現代も変わらない。当時の親達も「どうして生まれてきてくれなかったの」と涙したはずである。産婦人科で、エコー写真を握りしめて泣き崩れる妻と、彼女にかけてあげるべき言葉が見つからずに抱きしめるしかない夫━━彼らは2~3千年前の日本にもいたはずなのである。

そうした人達を慰め、同時に、赤ちゃんを鎮魂する。そのために遮光器土偶は存在したのではないかと思う。この土偶が出土したのは東北地方である。今も当時も東北は寒い。そして概して冷えは女性の天敵である。冷えが女性の心や身体に悪影響を及ぼす以上、縄文時代の東北では、冬の死産や流産が多かったのかもしれない。それで、かの地では「遮光器土偶」を作る習わしが根付いた━━のかも、と思うのである。






 

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