平成23年3月11日に起きた東日本大震災。あの地震と津波で多くの人命・財産・自然が失われましたが、あの震災をキッカケとして広まった詩といえば、大正の童謡詩人・金子みすゞ(本名:金子テル)の「こだまでしょうか」に他ならないでしょう。
当時、多くの企業が広報活動を自粛し、テレビのCMがACジャパンばかりになりました。その中で金子みすゞの「こだまでしょうか」は何度もリフレインされ、人々の心に広まったのでした。「もっと彼女の詩を知りたい」という声に応えるかのように、彼女の代表的な詩100篇をたたえた『こだまでしょうか、いいえ、誰でも。』は緊急出版されたのです。
明治36年4月11日、山口県にて生を受けた金子みすゞは、昭和5年3月10日(奇しくも、東日本大震災の前日の日付です)に26歳の若さで亡くなるまでに実に512編もの詩を綴り、『蘇州夜曲』『青い山脈』などのヒット曲の作詞家としても知られる詩人・西條八十(さいじょうやそ)が「童謡詩人の中の巨星」と絶賛したほどの才を誇りました。
彼女の詩は昭和の長い間影へと忘れられていましたが、昭和50年代後期ごろから徐々に再評価の脚光を浴び、東大の入試問題(昭和60年・国語第2問)に彼女の代表作「大漁」が採用されるほど、彼女の詩のクオリティは世に認められるようになりました。
21世紀に入っても彼女の詩の評価が下がる、なんてことは全くなく、「わたしと小鳥と鈴と」という詩に曲をあてたものがNHK「みんなのうた」内で流れたのも記憶に新しいところですね。
この詩集を「震災を利用した商業主義だ」などと青臭く野次る声もありましょう。しかし、前述のように、彼女の詩は震災があろうとなかろうと、不変のファインネスを持ち合わせていたのです。ACジャパンのCMやこの詩集は、それを知るひとつのきっかけに過ぎません。
金子みすゞの時代、山口の町は捕鯨で栄えたといいます。ために、大いなる自然への畏敬の念がこめられた詩が、彼女の作品には多くあります。現代の我々が彼女の詩に触れる意味は、そういうところにもあるのではないでしょうか。