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『エースをねらえ!』
または、その歴史的意義についての考究

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こんにちは。本日のお題は『エースをねらえ!』です。若い方にはご存じないかもしれませんが、山本鈴美香という漫画家が1970年代に発表した、今も少女マンガの金字塔のひとつと目されている高名な作品です。

主人公の岡ひろみ(女子高生)は、同じ高校のテニス部に所属するスター選手「お蝶夫人」こと竜崎麗香に憧れています。やがて彼女は麗香の誘いを受けてテニス部に入部、そこで元スター選手の宗方仁コーチに出合います。宗方は、ひろみのテニスの才能を見抜き、指導に熱を入れます。宗方や麗香、男子テニス部の藤堂などとの人間関係を交えながら、ひろみはテニス・プレイヤーとして邁進しますが、実は宗方には哀しい過去があって━━という物語です。

本作は集英社の『週刊マーガレット』誌上で、1973年から1975年まで連載され、完結しました。その後、アニメ版が巷で人気を博し、1978年には第2部がスタートしましたが、こちらは第1部ほどの完成度には至らず(逆から言えば、第1部の完成度が圧倒的すぎたということでもあるのでしょうが)、1980年に終了。第3部を待望する声とて多くあったでしょうし、今でもそういう声はある所にはあるのかもしれませんが、どうあれ、これ以降、山本鈴美香の手によるテニス漫画は表に出ていません。

本作の歴史的意義は何か? それを考えるには、本作(の第1部)が終った年の年末に連載が始まった『ガラスの仮面』という補助線が必要になります。

『エースをねらえ!』と『ガラスの仮面』━━この2作は、どちらも「優れた素質を持った少女が、しかるべき師匠と出合い成長する」物語です。このことに異論を挟む論客は、恐らく絶無でしょう。

「少女マンガって、誰も彼も恋愛に夢中になって、ホレただの振られただのを繰り返す、べたべたの少女趣味のコンテンツだろ?」━━世の中にはこういう偏見を持った人が結構います。そして、そういう少女マンガも実際、少なくはありません。

少女にとって、恋愛とは、「第一の成長」の契機です。恋愛の対象は、異性でも同性でも構いません。とにかく、自分の度量衡を絶する他者との交際を通じて「子供同然の自分」から脱却する。少女は恋愛を通じて「女」へと成長する。それが少女にとっての恋愛の意義です。だから、男との遍歴を繰り返して幸福になれると信じてやまないシゲカヨ(『ハッピー・マニア』の主人公)は、精神的には子供同然の女として描写されたのです。

でも『エースをねらえ!』や『ガラスの仮面』は、そういうマンガではありません。もっと求道的です。というのも、恋愛で成長した「女」には、恋愛は、もうあまり成長を促してくれないからです。それは大体の場合、自らに快楽や混乱をもたらす「人間関係」にしかならない。それで充分という女もいます。でもそうではない、更なる成長や成熟を志す女もいて、そこでは「恋愛以外に自分を成長させるファクター」が求められます。それが師弟関係なのです。

岡ひろみのような「もともと優れた素質を持った女」とは「既にある程度成長した女」でもありましょう。そういう女にとって、現状より上位の階層へ至るのに必要なのは、恐らく恋愛相手ではなく「師」なのです。

1970年、日本で初めてのウーマン・リブの集会が催されました。それまで女は「男社会」の牢獄に囚われ、社会的な権利や自由など、実質的には与えられていなかった。それはつまり、社会に「女はこうすればいい」的な確固たるフォーマットがあったということでもあります。女は適当に恋愛して、家庭に入ればいいと。

しかし「女はそういう抑圧から解放されるべきだ」の声が上がれば、もう女に「何も考えずに母や祖母などの前例を踏襲する」は許されません。それまでと異なる、新しい「女のあり方」を模索しなくてはならない。当時の少女達は迷い、悩んだでしょう。それに呼応する形で『エースをねらえ!』や『ガラスの仮面』は世に現れ、読者に「恋愛より上位の道がある」を示し、絶大な支持を得たのではないでしょうか。

『エースをねらえ!』とは、そういう強大な指南力を誇ったマンガで、それはそれでいいのですが、ではそういうマンガを描き上げた漫画家は、その後どうなったのでしょうか? 1981年以降、山本鈴美香は郷里の山梨県に戻り、新たに宗教を発足、その教祖に就きました。『ガラスの仮面』の美内すずえも同じような道を辿ったと仄聞します。

作品情報

・作者:山本鈴美香
・発行:集英社





 

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