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『東京プリズン』
赤坂真理の「戦後の日本」━━からの?

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赤坂真理は1964年、東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、サブカルチャー系雑誌の編集部でキャリアを重ね、1995年に「起爆者」で小説家として世に出た。

彼女と同世代の女流作家としては吉本ばなな、小川洋子らが挙げられようか。赤坂も彼女達と同様、キャリアの初期には「女のあり方」や「男と女」を作品のテーマにしていたように思われるが、近年は「戦後の日本」を文学的に問う作家としても活躍している。本書『東京プリズン』は2012年に上梓された赤坂の長編小説である。

主人公は1964年生まれのマリという少女で、彼女は十代半ばでアメリカへ留学することになる。

時代背景は1980年前後である。当時の日本は、欧米先進国から「日本は安くて良質な物を輸出しすぎだ」と敵視されていた。1970年代、日本の円はまだまだ安く、それを利用して日本は輸出大国になったのである。先進諸国にとっては「自国の産業が侵食される」でもあるから、欧米諸国は日本に円高を受け容れるように要求してくる。1985年、ニューヨークのプラザ・ホテル(あの『ホーム・アローン2』で主人公が泊まったホテル)で5ヶ国会議が開かれ、プラザ合意が成立したわけであるが、会合の要旨は「日本は円高を受け容れろよ、いいな」であった。

つまり、マリの留学当時の平均的なアメリカ人の対日感情は、恐らく好ましいものではなかったろうということである。そんな時代にマリはアメリカへ留学し、現地で「天皇の戦争責任」に関するディベートへの参加を課せられる。マリは皇室の人間ではないし、昭和天皇に会ったこともない。戦後の生まれだから戦争の実情を知る由もない。はっきり言えば「天皇って私の人生に何か関係あるの?」である。しかし現地のアメリカ人にとっては、マリは紛うことなき「日本代表」なのである。

物語は、高校生のマリと、21世紀に入って40代になった大人のマリを交錯させながら進む。赤坂は感覚的な筆致で、マリという一人の女の人生を、その質感を、丁寧に描写し、読者にありありと伝える。

本作は「戦後の日本で禁忌タブーとされていたことに踏み込んだ意欲作」として人口に膾炙、発行部数は10万部以上を数え、著者の赤坂は司馬遼太郎賞、紫式部文学賞などの文学賞を受賞した。しかし私は、彼女が叙した「戦後の日本」はあくまで本作を織り成す縦糸に過ぎないと思う。では横糸は何だろう? 恐らく「母と娘」である。

母と娘の関係は、父と息子のそれとは恐らく根本的に違う異質なものである。ノンフィクション作家の髙橋秀実は『男は邪魔!』(光文社、2013)で、以下のように書いていた。

実際に女の子を育てた母親なども『自分とそう性格が変わらないんです』と断言するくらいで(略)子供の立場からすると、女の子は『わかられている』存在として育つわけで、極端な話、『あなたのすることはわかっている』と見透かされる視線を浴びながら育つのだ。そして母親もまたその母親にそう期待されていたので、女性たちは『わかっている』の連鎖の中にいる
(p125)

私は男なのでよくわからないが、多くの女性は「母と娘」というサーキットから逃れ難いのかも知れない。そういった要素は『東京プリズン』にも含まれているように思う。しかも本書が上梓された同年には水村美苗が、やはり母と娘をテーマにした『母の遺産━━新聞小説』(中央公論新社)を上梓している。2010年代前半というのは、「母と娘」のありようを問う時代だったのかも知れない。

作品情報

・著者:赤坂真理
・発行:河出書房新社





 

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