白樺派に属していて、近代日本文学においては「小説の神様」と言われた作家で、代表作は『暗夜行路』━━それがたぶん、一般的に文学史で語られる志賀直哉(1883-1971)であろうと思う。
でもこの(駆け足気味な)説明で納得する人がどれだけいるだろう? 普通の人はまず「白樺派って何?」じゃなかろうか。そもそも、なぜ彼が「小説の神様」と呼ばれたのかも、よくわからない。彼が書いた文章や文体が素晴らしいと言われても、そんなの読者によって感じ方はバラバラだろ、一部の文学者の決めつけを一般論みたく押しつけるな、とだって言えなくはない。
なぜ近代日本文学史で志賀は「小説の神様」とされるのか。そしてなぜ『暗夜行路』が彼の代表作になるのか。まずは志賀直哉という人を解きほぐし、そこから『暗夜行路』とは何かを探ってみたい。
志賀直哉とは何者か? 単純に言うと「いいトコの坊ちゃん」である。志賀の祖父は相馬家という名家の家令を務め、志賀の父は銀行員という都会的な職に就いていた。明治の財界の重鎮でもあった父親と志賀は対立したりもするが、一方で志賀は祖母の寵愛を受けていたので、経済的に困窮するなどはなかったという。かくして志賀はエリート街道を邁進する━━具体的には、学習院から東大へと進学する(その後、東大は中退しちゃうんだけど)。
白樺派とは、この「学習院から東大へ行った人達」による同人サークルみたいなもので、発起人は志賀直哉と、やはり学習院から東大に行ってそこを中退した武者小路実篤である。学閥的に言うと「東京大学内、学習院派」ですわね。メンバーには東大ではなく北大へ行った有島武郎などもいたけれど。
すでにイヤミな感じがぷんぷん漂っているが、さらに話は続く。
前述のように、志賀は父親と対立する。東大在学中に志賀は、志賀家の女中と恋仲になり、彼女との結婚を希望するものの、父親から「ふざけんな」と一蹴される。それに彼が志願した小説家という職種も、エリート一家の総帥である父親にはやはり「ふざけんな」であった。
昭和後期以降、家庭内で父親の存在感は薄くなったと言われる。しかし、明治から昭和の前期にかけての父親は違った。当時は家父長制が健在だったので、父親は家族の「絶対権力者」であり、会社のワンマン社長のようなものとして君臨していた。父親と対立しようものなら、たいていは勘当され、根無し草になり、世間から消えるしかなかった。そういう時代だったのである。だから、親の反対する結婚や進路など子供はなかなか選べなかった。
そんな時代に志賀は父親と真っ向から対立し、それを乗り越えた。女中との結婚こそ実現しなかったが、彼は父親に抗い、小説家になった。彼は私小説の人で、つまりセルフドキュメンタリーの人である。1913年、彼が30歳で発表した『清兵衛と瓢箪』は「父と子の対立」をテーマにした小説だった。彼の「父との対立」は小説という形で公になり、全国で読まれたのである。
それは多くの若者を勇気づけたであろう。巷には「志賀直哉、マジすげぇ」とリスペクトした若者が多くいたはずである。近代とはそういう父権制の時代であり、だから近代日本文学では「父との対立」という主題はなかなか表に出てこなかったりもするのだが、志賀はそこを乗り越えた。なればこそ、近代文学の領野で志賀は「神様=カリスマ」にもなり得る。
では『暗夜行路』も父子の対立をテーマにしたものかというと、違う。本作は志賀の唯一の長編小説で、1921年から1937年まで断続的に連載された4部作の作品であるが、執筆開始の当時、志賀は40歳手前であり、父親とはとっくに和解していた。逆に言うと、私小説の作家として書くべきテーマも特にないという状況で、だからか、本作は何度か執筆が断念されたという。
志賀直哉は、実父と毅然と対立し、それを乗り越えた。乗り越えたがゆえに書くべきテーマがなかった。では何をテーマにしたかというと、彼の妻だった。本作の主人公は、放浪を続ける男性小説家で、彼は自分の生まれや妻の不貞に悶々と悩む。いろいろあって、最後には妻が主人公に「私、どこまでもこの人に付いてくわ」と誓う━━『暗夜行路』とはこういう話なのである。
志賀はそんなに不貞の奥方を得ていたのだろうか? 彼は武者小路実篤と仲が良く、30代前半のときに実篤の従妹を娶った。その後、各地を転々と放浪する志賀は、1923年頃に京都の茶屋の女と浮気し、その事実を短篇小説にして公表してしまう(この時点で『暗夜行路』はスタートしているが、テーマが定まらず難産気味であった)。この時期には関東大震災が起こり、首都東京は壊滅状態になったが、志賀は「それはそれとして」で、ラヴ・アフェアと仕事に精を出していたようである。
明らかなのは「浮気をしたのは志賀だった」である。志賀が浮気をした証拠は歴然とあって、しかし志賀夫人が浮気をした証拠は見当たらない。少なくとも私は、そんな証拠の存在を知らない。
ということは、本作は彼の実体験を基にした小説ではない、つまり「私小説ではない」と考えられるはずである。そう考えてもおかしくはない。が、しかし本作の主人公は、やはり多くの読者に「志賀がモデルなんだろうな」と想像させるものではあろう。それで私は、もしかしたらこの小説は、自分の妻に対して「俺は悪くない」と「お前はどこまでも俺に添い遂げよ」を言いたいだけのものではなかろうか、などとも思う。
本作が志賀の代表作と位置づけられるのは、物語がもたらすカタルシス、ないしは文章のクオリティの高さを評価されてのことであろう。そういう文芸的達成を否定する気はさらさらない。ただ、私は男尊女卑を前提とする家父長制が生きていた近代には生まれておらず、男女平等が当たり前である現代に生きている。だから、こういう風にも思う━━「これ、志賀夫人にとってはいい面の皮というか、今なら夫の妻に対するモラハラとして成立しそうな話よな」。