今年も競馬界の一大祭典であるダービー(東京優駿)が終わった。競馬の世界で勝つことだけを目的に繰り返される、馬の交配と淘汰。その中で「サラブレッド」は作られ、その言葉は今や競馬界以外でも耳にするようになった。その意味するところは、「Thorough(完璧な)」というワードからも容易に想像がつくだろう。「改良を重ねて作られた、完璧な品種」だ。
「サラブレッド」の意味を確認して、改めて思う。漫画家・臼井儀人の『クレヨンしんちゃん』は、まさに日本のマンガ界における変態のサラブレッドだ、と。
ところかまわず神出鬼没を繰り返す5歳児、野原しんのすけ。彼の変態っぷりは実に痛快だ。自身の父母の夜のいとなみの最中に乱入して、「プロレスごっこ、混ぜて」とねだったり、コンドームを指して「チョコの箱」と称したり、首にキスマークをつけた女性を指して「ケガ」と言ったり、大人の建前と虚飾をコドモ目線で看破するその慧眼、美事この上ない。
また、場所を問わず衣服を脱ぎ散らす破廉恥も、5歳ならではの利点を活用し、笑いを誘えるものになっている。恐ろしいコドモだ。
思えば、『クレヨンしんちゃん』が生まれる以前にも日本のマンガ史上には、さまざまな変態が登場した。山上たつひこの『がきデカ』のこまわり君に始まり、実にさまざまな変態たちが、読者に笑いと涙を提供し、名を馳せ、消え去った。昭和の時代に繰り返された交配と淘汰、その果てに生まれたアルティメットな変態、それこそ『クレヨンしんちゃん』が擁する高みなのだ。
たとえば、野原しんのすけが衆人環視の中にあって全裸になるハイ・パフォーマンスなどは、まぎれもなく『がきデカ』の血を継承している証左。しかし、昭和のそれと違い、受ける印象は極めてソフト。エログロな感じも、破廉恥さもライトなのだ。しかし、まぎれもなく変態。これこそ、平成の世代に向けた変態の新たな風格なのだ。
サラブレッドを名乗るからは、結果も肝心。ご存知のように、『クレヨンしんちゃん』は、TVアニメになり、ゲームになり、映画になり、それが今日に至るまで続いている。また、世界20数か国で、関連書籍を含め、1億部数以上の売り上げ記録をほこるなど、キャッチコピーである「嵐を呼ぶ園児」はダテではない。
臼井の死により、『クレヨンしんちゃん』の進化は止まってしまった。しかし、このサラブレッドを分析・交配し、また新たなる変態の改良品種が、どこかで産声を上げるはずだ。『クレヨンしんちゃん』の血が、またどこかで。