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『ミステリと言う勿れ』
田村由美の、諧謔性とフリーハンド

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田村由美は1983年のデビュー以降、主に小学館で作品を発表してきた少女マンガ家である。本稿で取り上げる『ミステリと言う勿れ』は、もともと彼女が2016年11月に同社の『月刊フラワーズ』誌にて読み切りで発表した作品を、1年後に改めて連載形式でスタートしたもの。2021年の後半には、単行本の累計発行部数(電子書籍含む)が1300万部を超えるほどの人気を博し、現在(2022年2月)も連載中となっている。

本作の主人公は久能という、天然パーマが特徴的な大学生の男。周囲から「変わり者」と評される彼が探偵役となって、さまざまな事件に携わるのが本作の基本的な結構となっている。であれば、それはおおむねミステリー漫画だろうと思うところだが、タイトルは“ミステリと言う勿れ”である。

事件があって謎解きもあるのに、どうして「ミステリって言うんじゃない」という意のタイトルが冠せられたのだろう? 作者は「ミステリなんてムリ」と思って、この題にしたらしいけれど。

つまり本作のタイトルには、作者から読者に対しての「本作が何なのかはそれぞれで考量なされ」という提案が含まれている。そう考えても無理はない気がする。それならばと管見を言わせてもらえば、本作はミステリーというより、「従来のミステリーもののパロディ」なのではなかろうか。

たとえば主人公のキャラクターである。久能は事件に関係なく、とにかくよく喋る。その多弁ぶりを他のキャラクターからうっとうしがられるのが、本作のお約束にもなっている。それくらい彼はなんだかんだとよく喋るのであるが、これが「ミステリーものの定型」のパロディになっていることは、多くの人が認めるところであろう。

小学館のミステリー漫画といえば、その代表格は、やはり『名探偵コナン』であるが、読んだことがある人にはご承知の通り、コナンが謎解きをするとき、それらのコマはほとんどセリフで埋め尽くされる。これは限られたページ数で可能な限り説明をしなくてはならないために起こる不可避な現象である。

探偵役がやたらと喋る。これはミステリー漫画における構造的な宿命でもあろうが、田村はその「ミステリーものの特徴」を「主人公の特徴」としたわけで、これは一種の発想の転換かも知れない━━単に「だってマンガの探偵って大体こんな感じでしょ?」と思っただけかも知れないが。

主人公が天然パーマというのも、横溝正史が生んだボサボサ頭の探偵、金田一耕助を髣髴とさせる。既存の日本製ミステリーに親しんできた人には、思わずくすっと笑ってしまうようなユーモアが、本作には散りばめられている。そう思えば、なんと立派なパロディではないですか。

日本にはミステリーというジャンルに位置づけられる作品が既に潤沢にある。その豊富なアーカイヴの上にこそ本作は立脚する。旧作があってこその新作というか。作者が「ミステリと言わないで」と断るのも、そう考えてのことかも知れない。

加えて、田村の「ミステリなんてムリ」という謙遜には、自由度を担保したいという意図もあるのではと勘繰ることもできる。というのも、日本では遜っている方が自由でいられる向きがあるからである。

たとえば、サブカルチャーは「下位文化」と訳されるが、サブカルの代表格であるアニメで、浄瑠璃などの上位文化を扱うことは容易にできる。どのくらい視聴者にウケるかはわからないが、扱うこと自体に問題はない。でも上位文化である伝統芸能で、アニメ作品を扱うなどはそうそうできない。そんなことをすれば「格が下がる」と各方面から反発が来るからである。日本では下位にある方が自由でいられるという好個の例であろう。

「ミステリと言わないで」と断っておけば、ミステリー仕立てのドラマもできるし、ミステリーではない要素も作品に気楽に盛り込める。作者が自由裁量を留保できるという点で、このタイトルは秀逸だと思う。

私は田村の作品を系統立てて読んだことはないから、本作が彼女のキャリアにおいてどういう役割を担うことになるかはわからない。他の作品と比較してのレヴューも到底できない。ただ、昭和50年代からマンガ家として歩んできたヴェテラン作家が、往年の人気作品の二番煎じでもないヒット作を現在進行形で生み出している事実には、深く感服するし、心から祝福したいと思う。おめでとうございます。

作品情報

・作者:田村由美
・発行:小学館





 

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