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『俺もドリカムだっ!』
「ドリカムの男の方」、1年間あがき続ける!

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ドリームズ・カム・トゥルーのベース、中村正人(1958-)が2007年に上梓したエッセイ。エッセイというか、当時流行っていた(今もまだあるのかしら?)ブログ本である。付録として、彼が唄った(吉田美和もちょこっと参加している)楽曲を収録したCDが付いている。現在は絶版。

副題は「365日の悪あがき」。その副題に嘘はない。本書には2006年6月初日から2007年5月末日までの彼の叙述━━ブログというか日記風エッセイというか━━が収録されている。その間、執筆活動を1日たりとも休んでいない。単純に凄いと思う。というか内容を徴するに、この人、本当にほとんど休みがないんじゃないか。そんな気がする。単純に凄いと思う。

中村は、そしてドリカムは、当時どういう状況にあったのか。

当時ドリカムは、復調しつつあった、その道半ばと言えるだろう。'90年代前半には爆発的な人気を誇ったドリカム。彼らはその後、全米デビューを目指した。それはそれでいい。ただ、そのやり方がまずかった。彼らはそこで多くの義理を欠き、音楽業界やマス・メディアの関係者から反感を買った。もうあいつらの曲はうちの局じゃ流さない。怒り心頭、そう言う人がいっぱいいたという。全米デビューは敢え無く頓挫。それどころか国内市場ですらドリカムは下火になっていった。'90年代後半、彼らの人気はみるみる下降していった(その中でも全くヒットがなかったわけじゃないけど)。その当時の空気感をご記憶の方も多いかと思う。

中村はドリカムのリーダーでもある。彼はひたすら国内を回り、音楽活動と並行する形で、関係者に謝罪を続けた。一時はメジャーでの活動が困難となり、インディーズから作品をリリースした。それほど四面楚歌の状態が続いていたのである。それでも2004年頃には、徐々に霧は晴れてきた。「やさしいキスをして」や「マスカラまつげ」などがドラマやCMで大量にオンエアされ、ヒットした。彼らはメジャーのレコード会社と提携する形で活動を続けられるようになった。


ここにはもちろん、業界側の変容も関係しているだろう。21世紀に入り、とにかくCDが売れなくなった。宇多田ヒカル以降、スター歌手が現れなくなった。やばいよ、やばいよ。レコード会社もまた五里霧中、暗中模索を強いられていたのである。「ドリカム」は、そのイメージは人それぞれながら、どうあれ名前だけは有名である。つまりブランドとして成立しており、営業にかける手間が省ける。それなら、ドリカムを敵視するよりも、味方にして使った方がいくらか利益に結びつく。そんな胸算用もあったはずである。ともあれ、ドリカムは再び、ポピュラー・ミュージックの第一線に復帰した。

しかし安心はできない。やっと戻ってきた第一線。そこではヒット曲を量産しなくてはならない。有名な歌が2~3曲あれば、後は寝て暮らせる。(残念ながら)そんな世界ではない。ドリカムは自分たちで小さなレコード会社を立ち上げていたため、その企業活動や雇用の前提となるドリカムは休むわけにはいかなかったという事情もあろう。中村は一心不乱に音楽活動、そしてその広報活動に邁進した。彼にとって(あるいはドリカムにとって)、2006年とはそういう時代であった。

そんな折、読売新聞社の編集者が中村に「ブログやってみませんか」と持ちかけた。当時、中村は「ドリカムの男の方」「ダチョウ倶楽部の肥後にそっくりな人」くらいの認知度しかなかった。なんで俺に? 訝りつつ、1ヶ月の期間限定を条件に中村は引き受けた。ところがそれが1年続いてしまった。本書の叙述を徴すると、そういうことらしい。それなりの反響があり、面白さがあったのだろう。本書の文面からは、とにかく「ドリカムの男の方」の懸命さが、(掛け値なしに)伝わってくる。音楽を作ること、音楽や映像のクオリティにこだわること、そしてその成果を赤の他人に認知してもらうというのは、かくも大変なことなのか。読んでつくづくそう思いますもの。

中村はその後、結婚したり、還暦を迎えたりしながら、今も不定期にブログを続けている。

作品情報

・著者:中村正人
・発行:中央公論新社
マサブログ






 

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