日本語 | English

■ 一時休止いたします。







Atom_feed
『風流仏』
幸田露伴の味わい

LINEで送る

夏目漱石と正岡子規は同じ年の生まれで、この二人に交流があったことは有名です。でも漱石や子規と同じ慶応三年(一八六七)に生まれて、彼らと同様に文学者となり、当時それなりに人気を博したにもかかわらず、現代ではあまり語り草にならなくなった人もいます。それが幸田露伴(一八六七-一九四七)です。この名前を聞いても若い人の多くはたぶん「誰?」と思うのではないでしょうか。そんな気がします。

露伴は、十九世紀末の一八八九年に『露団々』という長編小説で小説家としてデビューします。『風流仏』は同じ年に発表された短めの小説です。この小説を語ることが、現代で露伴の影が薄くなった理由を語ることに繋がるのではと思い、今回取り上げることにしました。

言文一致運動とは十九世紀末のムーヴメントだったと私は考えています。今日私達が使うような書き言葉は、十九世紀末当時はまだ開発途上で、何かを書くとなると文語体を用いるのが主でした。もちろん『風流仏』も同様です。本作の冒頭部分を、少し引用してみましょう。

「三尊四天王十二童子十六羅漢さては五百羅漢、までを胸中に蔵めて鉈小刀に彫り浮かべる腕前に、運慶も知らぬ人は讃歎すれども鳥仏師知る身の心耻かしく、其道に志す事深きにつけておのが業の足らざるを恨み、爰日本美術国に生れながら今の世に飛騨の工匠なしと云わせん事残念なり、珠運命の有らん限りは及ばぬ力の及ぶ丈ヶを尽してせめては我が好の心に満足さすべく、」

どうです? 文語体に馴染みが薄い人には「これは古文か?」と思われるかも知れません。露伴と同い年の夏目漱石がこの十六年後に発表した処女作『吾輩は猫である』と比べると、この文章の古めかしさは一層際立ちます。たった十数年で、日本語はかくもドラスティックに変わったのです。

ちなみにこの話の主人公は、引用部分の後半に出てくる「珠運」という仏師です。運慶も知らない一般人は珠運を称揚するのですが、鳥仏師(止利仏師)の技術水準を知っている本人は、自分の腕前を恥ずかしく思っている。そういう紹介文です。やがて話は片恋というか恋愛物語の様相を呈するのですが、引用部分にはそこまで書かれていません。

この文章は、現代人ばかりではなく当時の文人にも十分に難解だったようで、露伴と同い年の正岡子規は、初めて『風流仏』を読んだ時のことをこう述懐しています。「果して冒頭文から非常に読みにくゝて殆ど解することが出来なかつた。」(正岡子規『天王寺畔の蝸牛廬』)

子規は、松山藩士の子に生まれて、小学校に入ると同時に、松山藩の儒学者であったお祖父さんから漢学の教育を受けた人です。子規や露伴が生まれた翌年に元号は明治になりますが、だからと言って、いきなり近代になったわけではありません。明治初期には江戸時代の常識がしっかり生きていて、彼は武士の教養である漢学を学び、漢詩を嗜んで育ったのです。

漢文や文語体に通じていたはずの正岡子規にすら、この文章は難解だった。ということは、この文章の難解さは「文語体だから」ではないのです。ではその難しさは何に由来するのか? ヒントは彼の処女作『露団々』の前書きにあると思います。こういう文章です。

「素より遊戯三昧の業なれば、談道徳に渉るも世を醒すの力もなく、意卑劣を憎めども人を励ますの勢もなし。唯々あはれと見給へかしと云ふも、作者の恒言かや。」

遊戯三昧、つまり露伴は文章で遊んでいるのです。実際、この前書きでは一応謙遜してみせていますが、それすら作者の「恒言=決まり文句」に過ぎないと言っています。遊びがある。それが露伴の文体の特徴なのです。前時代の文語体でありつつ、そこで遊ぶ露伴は、文章を豊穣でにぎやかなものにする。彼の文章は、差し詰め「言葉の樹海」と言えるかも知れません。慣れない人は迷うけど、慣れてくるとその豊かさがクセになる。しかも遊んでいながら、文章としては壊れていない。そういう絶妙なバランス感覚を、彼はデビュー時にもう持っていたのです。

今日、一般の読者の多くは『風流仏』のような文語体を敬遠します。現代語訳版があればそっちを読みたい。そう思うはずです。でも露伴の小説は、文体を味わってなんぼなのです。文体そのものにこそ、露伴の「表現」がある。これが現代語訳されたら、文意が通じやすくなる代わりに、オリジナルの持ち味は間違いなく削がれてしまう。だから露伴を味わうなら原文で読むのが一番なんでしょうけど、それだと読みにくい。時代が下るにつれて露伴の影が薄くなるのは、こうした事情もあるのかも知れません。

さて、この幸田露伴とはどういう人なのでしょうか? 最後に、四十歳の彼の言い分を引用して幕を引きましょう。

「趣味の調和を欠ぐ時は到底家庭の圓満を望む事は出来ない」
(『趣味』明治四〇年九月号、彩雲閣)

凄いですね。趣味性を欠く人には満足に家庭も営めないと言っているかのようです。そんな、家庭生活にまで踏み込まなくても、という気もしますが、彼が味わいを重視した作家であることは確かだと思います。ではまた。

作品情報

・著者:幸田露伴
・発行:吉岡書籍店





 

『野菊の墓』
子供と大人の間、浪漫と自然の間