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『浮雲』
二葉亭四迷は言文一致の急先鋒だった、が

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二葉亭四迷(1864-1909)の『浮雲』といえば、明治時代の言文一致運動。受験勉強では、こういう覚え方が一般的だろう。だからというわけではないが、取り敢えずこの式に基づいて稿を進めてみたい。

二葉亭四迷は江戸時代末期に生を受けた━━明治は1868年に始まった━━翻訳家であり、小説家である。本名、長谷川辰之助。学校で文学史を習う際、わんぱく盛りの(ほとんどサルと変わらない)男子が「二葉亭四迷」を「くたばってぇしめぇ」と、けらけら笑いながら言っているのを聞き、辟易した覚えのある人も多かろう。すいません、その男子は私です。

19世紀というのは、18世紀の産業革命で調子づいた欧米諸国がアジアやアフリカに対し、次々に侵略行為を行なう時代である。ムガル帝国(インド)がイギリスの保護国になったのが1804年。その煽りを受け、中国(清朝)が香港をイギリスに渡す羽目になるアヘン戦争が勃発したのが1840年。その17年後の1857年には、インドで、イギリスへの反感が高じてセポイの乱(第1次インド独立戦争)が起こり、ムガル帝国が消滅する。

「熊オヤジ」と呼ばれたマシュー・ペリー率いるアメリカ海軍が日本にやって来て、開国を迫り、日本がそれまでの鎖国体制をやめるか否かで大荒れになる19世紀半ば、アジア圏はかような動乱的状況にあった。そうして(ご承知のように)日本は開国し、近代化という名目で大量の「西洋」が日本に流れ込むわけだが、なんでそうなったのかは当時の世界情勢を見れば明白であろう━━「だって近代化して西洋の仲間入りをしないと、欧米諸国に侵略されちゃうじゃん」である。

日本にはそうした危機感があった。だから日本は大量の「西洋」を取り入れるのだが、そこにはどうしても「翻訳」という作業が必要になる。勢い、欧米諸国の言語を日本語に翻訳する知的エリートが求められる。こうした時代の要請を受け、森鷗外を筆頭とする翻訳家が、短期的に大量に生じた。ロシア文学に心酔し、ロシア語に通じていた長谷川辰之助━━のちの二葉亭四迷もその1人だった。

知的エリートを大量に必要とする以上、全国的に「教育の向上」が喫緊の課題となる。学制が定められ、小学校から大学校に至る教育制度が確立されたのが1872年(明治5)━━長谷川が8歳のとき。1881年、長谷川は現在の東京外国語大学ロシア語学科に進学し、そこでロシア語を学び、ロシア文学にハマっていく。

教育制度が確立されるということは、全国的に「読み書きする子供」が増えるということでもあった。そうなって、それまでの漢語、文語体に依存していた書き言葉では何かと不自由が生じた。もっと万人向けのわかりやすい日本語が欲しい。よし、じゃあ我々の話し言葉を書き言葉にして、それを新しい時代の日本語としよう。こうして起こったのが、いわゆる「言文一致運動」である。そして、その嚆矢(の1つ)が二葉亭四迷の『浮雲』だった。

19世紀末の1887年、二葉亭四迷の『浮雲』第1版が出版された。諸説あるものの、これが日本で最初の言文一致小説とされていて、つまり「二葉亭四迷なくして現代の日本語はない」なのだから、間違いなく偉業ではある。しかし、そうかと言って、これを現代の日本人がすらすら読めるだろうか?

「千早振る神無月も最早跡二日の余波となツた廿八日の午後三時頃に神田見附の内より塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出でて来るのは孰れも頤を気にし給ふ方々」━━むずかしい。これは『浮雲』の冒頭部分だが、私には読みにくい。それは現代の日本人だけではなく、知的エリートを含む当時の日本人の大半もそう思ったのであろう。だから二葉亭四迷は本作の中で、文体を、ああでもない、こうでもないと試行錯誤している(二葉亭がまだ20代で若かったということもあろうが、新しい日本語をつくるのはやっぱり相当大変だったのだと思う)。

二葉亭四迷は言文一致の急先鋒だった。しかし、だからと言って、彼の言葉がそのままその後の標準仕様になるなどはなかったのである。

「『武蔵野の俤は今纔に入間郡に残れり』と自分は文政年間に出来た地図で見たことがある」━━20世紀最初の年である1901年、国木田独歩が自身初の作品集『武蔵野』を発表するが、これはタイトルにもなった短編「武蔵野」の冒頭部分。これなら、ルビさえ振ってあれば今の日本人でも読める。その点で、言文一致を完成させたのは国木田独歩なのかもしれない。即ち、言文一致運動とは、明治時代というより「19世紀後半」のムーヴメントだったのではあるまいかと。

言葉は急には変わらない。ゆっくり時間をかけて変わっていく。誰かが新しく使っている言葉を真似たり応用したり、それがあちこちで繰り返されて、ようやく一般的になる。新聞記者としても活躍した国木田は、二葉亭四迷の翻訳文に影響を受けたと言われているが、新聞がそれまでの文語体から口語体に移行するのは1920年━━二葉亭も国木田もこの世を去った後なのである。

ところで━━この『浮雲』は「日本文学史上の偉業」としてしか語られ得ないのだろうか? この小説は「恋も仕事も不器用なパッとしない男の話」だが、その内容やクオリティはそんなに重要ではないのだろうか? 少し気になった次第です。

作品情報

・著者:二葉亭四迷
・発行:金港堂、新潮社、他





 

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