田山花袋は一八七二年、栃木県(当時)に生まれました。長じてからは尾崎紅葉に師事し、小説家として十九世紀末葉の世に出ましたが、大半の文士と同様に文筆業だけでは食べて行けず、出版社に勤務して生計を立てます。一八九九年、二十七歳になる年に結婚。一九〇七年、中編小説『蒲団』を発表。数万部を売り上げ、ベストセラーとなりました。自身の不倫願望を赤裸々に綴った本作は、日本で最初の「私小説」と目されています。
主人公は三十代半ばの男性作家です。結婚生活を退屈に感じている彼の許へ、ある日、芳子という美しい女子大生が弟子入りを申し込む。「文学で身を立てたい」という彼女の熱意とルックスに押され、男は弟子入りを認めます。
ここで男が女を自邸に引き取り、妻の目を盗んで不倫関係になれば、官能小説になります。その不倫がアブノーマルな方向に向かい殺人事件に発展すれば、江戸川乱歩でしょう。しかし、田山はそういう方向に行きません。男は世間体を慮り、芳子を姉の家に居候させるという極めて良識的な行動を採るのです。美しい芳子に惹かれはする。しかし、不倫関係に踏み出すほどの勇気がない。男はやはり日々を無為に過ごすばかりなのです。
こうなれば後はお定まりで、愚図愚図しているうちに芳子は、同世代の秀夫と恋仲になります。それを知った男は狼狽しますが、こういうのはうろたえてどうなるものでもありませんよね。そのうちに秀夫が、芳子の許を訪ねてくる。勢い、男も秀夫と対面してしまう。男は「二人とも消え失せろ」とばかりに、秀夫も芳子も放逐します。元の木阿弥となって、数日後、男は部屋に残された(芳子の)蒲団と寝間着を見つけ、それを愛おしげにくんくんと嗅ぎ、成就されなかった片恋を偲んで物語は幕を閉じます。
主人公の気持ちはよくわかりますよね。不倫関係となれば、多くの場合、結婚生活に大なり小なり破綻をきたします。なんだかしんどいことになりそうじゃないですか。それに女の残り香を愛おしく思う心持ちもよくわかる。匂いって大事なんですよ。私も、好きな女をおんぶしたときに鼻孔をくすぐった彼女の髪の香りを、今でも憶えています。好きな女の(洗濯された)肌着に顔をうずめたこともある。女の人でも、たとえば好きな男の手の匂いを嗅ぐと落ち着くとか、あるんじゃないでしょうか。
わからないのは「そんなのを小説に書いて公表してどうしよっての?」です。私小説というくらいですから、これは田山の実体験です。それはいい。ただ、なんでまたこんな「個人的に過ぎる体験」を書いたのか? そして、なぜその小説が世間で持て囃されたのか? 問題はここです。
時代背景を整理しますと、テレビが本放送を開始するのは一九五〇年代です。ラジオは一九二〇年代。現在の週刊誌の先駆けである『サンデー毎日』や『旬刊朝日』が創刊されたのが一九二二年。つまり本作が発表された一九〇七年には、テレビもラジオも週刊誌も存在していないのです。マス・メディアと呼べるものが、ほとんどない。
けれど「他人のこと」に強く関心を寄せる人は、当時もそれなりの割合でいたと思います。皆さんの周りにもいるでしょう? よその家庭の事情や人事系のゴシップ、あるいは芸能人の噂話を楽しそうに語る「情報屋」的な人。明治の世にもそういう人達はいたはずなのです。テレビもラジオも週刊誌もない時代ですから、彼らは「他人の情報」に飢えています。そういう人達が(たぶん)文学の世界で繰り広げられた「ここだけの話」にかぶりついた。かくして、日本では私小説が一大ブームになったのではないか。個人的にはそう思っています。
私小説がウケた理由はなんとなくわかる。でも、執筆の動機となるとよくわからない。田山にとって「不倫したい気持ちはあったけど出来なくて、煩悶するばかりだった」は結構、切実だったのかも知れません。だからやむにやまれず書いてしまったのかも知れない。そういう気持ちを抱えてしまった男が近代にいた━━現代にだって当たり前にいるでしょう。その点では普遍的なテーマを扱っていると思います。
本作が発表された年の十月、二葉亭四迷は「私小説のパロディ」とも言える小説『平凡』の連載を始めるのですが、その中でこう語っています━━「
近頃は(略)
何でも作者の経験した愚にも附かぬ事を、些かも技巧を加えず、有の儘に、だらだらと、牛の涎のように書くのが流行るそうだ」
ずいぶん手厳しい批判ですね。四迷の言うことはわかりますよね。「もう少しちゃんとした物語を語ろうぜ」です。四迷に同意する人も多いでしょう。
でも私はこうも思うのです。もし田山が「牛の涎」の形を採らなかったら、ここまで何もしない人が物語の主人公になることは、たぶんなかったんじゃないかと。この主人公は、本来なら物語にならない(なりそうもない)「倫理の枠からはみ出したいけど、はみ出せない男」です。人道的ではあるものの、現実的には「つまらない」と評されがちな人です。あるいは「物語を始められない人」と言っていいかも知れない。でもそういう人って、私やあなたにちょっと似てません?
だから個人的には、文学という世界の片隅にそういう人の物語があったって、それはそれでいいんじゃないかと思うのです。異論はあるかも知れませんが。