赤塚不二夫は一九三五年、満州国に生まれた漫画家である。戦後は、手塚治虫を筆頭にした漫画家達が共同生活を営むトキワ荘で漫画家として修練。そこで女性漫画家と懇意になるなどがあり、少年漫画のみならず少女漫画の世界にも進出した。
彼の少女漫画の代表作といえば、やはり『ひみつのアッコちゃん』になるだろう。集英社の少女雑誌『りぼん』に一九六二年から六五年まで赤塚が連載していた作品である。それがテレビでアニメ化され、人気に応えるべく赤塚はリメイク版を六八~六九年にいくつかの媒体で連載。時を経て昭和も間もなく終わろうという一九八八年、再度アニメ化されることになり、それに合わせて八八~八九年に今度は講談社の『なかよし』上で連載。これが最新版となる。
つまり、この作品はもともと「昭和中期の少女」のために描かれたと言っていいだろう。では「昭和中期の少女」とはどういうものだろう? あるいはこう言い直した方がいいかもしれない。赤塚不二夫にとって当時の少女はどういうものだったろうか? 本稿では、そのあたりを考えてみたいと思う。
話は一旦、一九六二年に遡る。
この年は「キューバ危機」の年であり、その諸悪の根源であるようなケネディ米大統領はまだ存命で四十代だったが、彼は日本の政治家でいえば田中角栄や中曽根康弘より年上だった。それが何かと言えば、当時の世の中を牽引していたのは明治や大正の時代に生まれた「戦前派」だったということである。
赤塚が生まれたのが、昭和でいえば昭和十年で、六二年当時の彼は齢二十七の青年である。もう「若者」ではないが、さりとて世の中で一人前と認められるほどの歳でもない(彼が世間に広く認知されるようになったのは、この六二年に連載が始まった『ひみつのアッコちゃん』と『おそ松くん』が人気を博したことによるので、つまり六二年は彼のキャリアにおける大きな節目であったのだが、言い換えれば、六二年時点での彼はまだ何者でもない「駆け出しの漫画家」なのである)。
日中戦争が始まったのが一九三七年、赤塚が二歳になる年である。彼が四歳になる一九三九年には、満州国とモンゴル国が争う「ノモンハン事件」も起きている。彼は人格を形成する大事な幼少期、少年期を「動乱」の下で過ごさざるを得なかった。満州から引き揚げる前後に赤塚の実妹は感染症で亡くなり、戦後しばらくして実父と日本で合流した際も、父親は(満州にいた頃とは)別人のようになっていたという。戦争は誰の人生をも狂わせる。そのことを、おそらく赤塚は強く実感して育ったはずである。
その赤塚から見て、一九六二年の少女はどのようなものだろうか。
本作の主人公=アッコちゃんこと加賀美あつ子は小学五年生である。つまり十~十一歳で、そうすると生まれたのは一九五〇年代序盤になろう。日本の敗戦による戦争終結が一九四五年。連合国軍(実質的にはアメリカ軍)による日本統治が、そこから一九五二年まで続く。もちろんこれは形式上のことで、米国による日本統治は今日に至るまで続いている。だから日本の首相は、代替わりするとホワイトハウスに「ご挨拶」に伺うのが通例になっている(米朝会談を見れば一目瞭然であるが、米大統領は本当に大切だと思う会談であれば、外国に出向く━━そのためにボーイング社製の大統領専用機がある)。
米軍基地がある沖縄では、今も米兵によるレイプ事件がたまに起きる。占領下の日本ではそれが更にひどかった。一説によると、五二年までの七年間で米兵による強姦事件は、本土だけで三万件に上るほど頻発したという。日本政府も対策として各地に慰安所を設置したが、占領下で米兵にその手のルールが厳守されるはずもなく、慰安所の内外で引き続き日本人女性に対する強姦、輪姦事件が続発した。占領下では軍による検閲(いわゆるプレスコード)が大々的に敷かれ、そういう犯罪が公に報じられることはなかったが、悪事千里を走るというから、赤塚を含む庶民はおそらく人伝でそのたぐいの話を聞いていたのではなかろうか。
一九五二年以降も、日米関係は変わることはなく、在日米軍兵士による傷害やレイプ、殺人は多発。一九五四年には、京都の宇治市で小学四年生の女子児童が暴行、強姦される事件も起きた。アッコちゃんとは、そういう時代に生まれ育った少女なのである。つまり「戦争を知らない世代」で、なのに外国人からいつ不条理に蹂躙されるか分からない不憫な女の子。当時の世の中を牽引する戦前派は、「日本人が米兵に虐げられても仕方がない」と思っていたかもしれないが、戦争も占領下時代も知らない彼女達には、自らが虐げられる根拠などピンとくるはずもなかろう。それが赤塚の考える加賀美あつ子世代だったのではなかろうか。
だからなのか、赤塚はアッコちゃんに魔法を授ける。本作は、アッコちゃんがなんでも望むものに変身できるコンパクトを授かり、その変身能力で人助けをしたり、てんやわんやを繰り広げたりするコメディである。コンパクトは女が主に化粧をする時に用いる道具で、つまり「鏡を通じて女は大いに変わる」のであり、本作の変身はそれをデフォルメした表現でもあろう。
ただし、化粧をしても(多くの場合)女の日常は日常のままである。対して、赤塚は「今の自分とはかけ離れたものになれる」という魔法をそこに加えた。それは少女にとって一種の解放でもあり得たろう。今の「自分」という檻から解放され、自由になれる。「それが少女時代の特権である」と赤塚が思ったかどうかは分からないが、そこには「この不憫な現実からの刹那の解放」という意味も含まれていたのではないかと、私は思う。
戦争は誰の人生をも狂わせる。そのことを強く実感していたはずの赤塚なら、当時の少女達にそういう贈り物を(フィクションを通して)しても、おかしくないだろう。そう思うからである。もっとも、二〇〇八年に泉下の客となったご本人がもしこの推量を聞かれたら、「考え過ぎだよ」と一笑に付されるかもしれないが。