少女マンガには「恋」や「夢」を主題にした作品が多い。そういう印象を強くお持ちの方って、結構多いんじゃないでしょうか。でも世の中、何事にも例外というものがあります。常夏の島ハワイ州にも雪が降るエリアがあるように。だから、恋愛とも夢想とも無縁の、つまりおよそ世間が思い描く少女マンガ像とはかけ離れた少女マンガだって、ちゃんとあるわけです。たとえば荒川弘の『百姓貴族』とか。
荒川弘。漢字表記だけを見ると、ほとんどの方は男性だと判断するかもしれませんが、れっきとした女性です。彼女は1970年代の前半に生まれた、いわゆる団塊ジュニア世代。実家は北海道で農家をやっていて、20世紀末に単身上京しました。その後、アルバイトで糊口を凌いで生活されていたみたいですが、2001年に連載を始めたファンタジー漫画『鋼の錬金術師』が大ヒットして、マンガ家として頭角を現します。ハガレンはテレビ・アニメや映画になって人口に膾炙しましたが、2010年に完結を迎えました。
『百姓貴族』は、荒川が2006年から、新書館のマンガ雑誌に連載を続けているエッセイ漫画です。主人公は荒川本人。ただ荒川は既婚者で、子供も複数います。だから作中で恋愛などは展開しようもないし、荒川が自身の夢のために頑張るという話にも今の所は至っていません。恋愛とも夢想とも無縁とは、そういうことです。
作品の主題は、タイトルが示す通り農業です。上京する前、彼女は地元の農業高校に通っていて、高校卒業後は実家で数年間、農業(酪農と畑作)に従事していました。その当時の思い出や、農作業を通して体得した知見や世界観が、本作ではコミカルに描かれます。
その作風はというと、はっきり言って少年マンガです。だから少女マンガが苦手という男性でも読みやすいのではないでしょうか。少なくとも私はすらすら読めます。少女マンガの中には、馴染みがないと「これは一体どう読んだらいいんだ?」と訝りたくなるくらい、読み進めるのに独特のリテラシーを要する作品もあります。ああいう表現技法を難じる気は毛頭ないですが、とりあえず本作にはああいう要素はありません。従来のセオリー通りにコマを追って読みページをめくるだけ。それでいつの間にか読了していると思います。
だから、もしかしたら少女マンガのヘヴィ・リーダーからは「あんなのは少女マンガじゃない、認めない」と言われるかも知れません。その辺は私にはよく分からない。ただ、どうあれ本作は女性向けのマンガ雑誌で連載され、結構な人気を博してきました。だから現時点(2022年6月)で15年以上も連載が続いているのでしょう。
本作品の基本的な結構は、ホルスタイン牛のヴィジュアルで描かれる荒川と、担当編集者の「イシイさん」という女性の会話劇です。一部例外はありますが概ねの話はそういう形で進みます。
個人的には、本作品の要(かなめ)はこの「イシイさん」だと思っています。
本作がスタートした2006年、荒川はまだハガレンを完結させていません。つまり世間にはハガレン・ブームがまだそれなりにあった時代なのです。その前年(2005)にはハガレンの映画版が公開され、ラルクアンシエルが担当した主題歌も、それなりのセールスを記録しました。当時はハリー・ポッターを筆頭にファンタジーが流行っていて、ハガレンもそのブームの牽引役としてそれなりの存在感を示していたのです。
そういう時代ですから、無才の雑誌編集者であれば、荒川に「ハガレンみたいなファンタジーを弊誌にも連載して下さい」と懇請するはずです。ハガレンの二番煎じがノドから手が出るほど欲しいという編集者は多くいたでしょうし、おそらく実際にそういう依頼もあったと思います。ヒット作をなぞらせるしか能がない編集者や広告代理店というのは、古今東西、遍在しています。
ところが、イシイさんが(結果的に)担当したのは、ファンタジーとは程遠い「農民エッセイ」でした。農家の出の荒川が持つ価値観や世界観は、都市民のそれとは大きく異なる。ならばその差異をコミカライズしてはどうだろうか。これが『百姓貴族』の基本方針だと思います。そして、荒川の農民的世界観に対し、一般の都市民的な価値観を持つ「イシイさん」がツッコミ役を演じたり質問を投げかけたりする。この会話劇で本作は成り立っているのです。
ちなみに、ハガレンを終わらせた翌年、荒川は小学館の雑誌で「北海道の農業高校に通うことになった男子学生」のマンガ連載を新たに始めました。それは『百姓貴族』のテイストを別の物語で活かしたと言っても、そうそう外れてはないと思います。この「イシイさん」が実在の人物かどうかは知りませんが、もしほんとうに新書館に在籍されているのであれば、小学館は彼女にお中元を贈るくらいはしてもいいのではないでしょうか(実際に贈ったかも知れませんが)。