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『伊勢物語』
日本で初めての歌物語

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『伊勢物語』である。タイトルが『伊勢物語』なんだから、それは物語でこそあっても歌集じゃないだろう。あなたは(まだ『伊勢物語』を読んだことのないあなたは)そう言うかもしれない。だがしかし、である。ここで取り立てて言うまでもなく、『伊勢物語』は「日本で初めての歌物語」として有名であったりもする。それはつまり、この物語の主役は歌であるとのコンセンサスが普遍しているということである。そうでなければ「歌物語」などという呼称は生まれまい。歌が主役の物語。それなら、それを歌集として扱っても、そうそう間違いではなかろう。私はかように考える。

『伊勢物語』は、平安時代に成立したとされている。主人公は、当時「絶世の美男」として名を馳せた在原業平。彼は六歌仙の1人として広く知られている歌人だが、美形のプレイボーイとして有名な貴族でもある。『愛欲の日本史裏絵巻』の著者、山科薫によると、業平はその生涯において、のべ3733人の女と関係を持ったという(そんな人数、誰が勘定したんだろう)。ずいぶん旺盛な人だったみたいですね。

実は、この『伊勢物語』の作者が誰なのかはわかっていない。業平自身が自伝的に書いたとか、紀貫之が書いたとか、また伊勢(という歌人)が書いたから『伊勢物語』なんだとか、いろいろな説がある(このうち、業平が自分で書いたという説は、最近ではトンデモ扱いされているらしい)。

ここでは、誰が書いたのかは差し当たりどうでもよくて、肝心なのは、作者と考えられる候補が皆、歌人だということである。

それくらい『伊勢物語』には和歌が多く出てくる。

全部で125段からなるこの物語では、ほとんどの段で和歌が詠まれている。なかには、和歌を提示してその和歌の補足的な文章しかないという段もある。表向きの主役は在原業平(と目される男)だが、彼が高名な歌人である以上、やはり和歌もかなりの頻度で表に出てくる。本書が「歌物語」と言われる所以である。

在原業平は、ときの帝のお后と恋仲になったという醜聞が流布し、都から出て行く羽目になったような、希代のプレイボーイである。言ってしまえば「歩くスキャンダル」で、そりゃ物語にもなるわな、と思う。しかし、いくら歌人の物語とはいえ、和歌を上述のように大々的にフィーチャーしたのは、なぜなんだろうか。

平安時代の前は奈良時代である。奈良時代は「唐風文化」と言われる、中国や朝鮮由来の文化が日本でドミナントだった時代である。奈良時代の価値観は、「いいもの=中国や朝鮮で作られたもの」で、それゆえに国の公的書類などは漢文、つまり中国由来の漢字のみで書かれるのが常だった。

『万葉集』の稿で触れたが、奈良時代に成立した歌集『万葉集』に収録された歌はオール漢字(万葉がな)である。それは奈良時代の価値観が「文字といえば漢字」だったからであるが、かといって漢字ばかりでは、やはり字面がごつごつしてうっとうしかったのだろう。日本では漢字を崩した「ひらがな」が、徐々に普及していく。

とはいえ、漢字が威厳を失ったわけではない。当時の役人(貴族エリート)は漏れなく男で、だから「男であれば漢字の読み書きくらいできなくては一人前とは言えない」といった、文化の専制的な価値観が支配的になる。もちろん、世界は男だけで構成されているわけではなく、女もいる。当時の女がどういう価値観を持っていたのかというと、「女が漢字の読み書きをするなどは、男のテリトリーに足を踏み入れるようではしたない」だった。

畢竟、平安時代前期には「漢字は男のもので、女はひらがな」という棲み分けがなされる。和歌は別名「やまと歌」とも呼ばれる、つまりは日本独自の文化で、そうである以上、和歌は日本独自の文字であるひらがなで書かれることになる。この時代、価値観は「男=漢字」なのだから、男が歌を詠むとすれば、たいていは「漢詩に適当なメロディを付けて歌う」であった。和歌に精通する男などは、まだ珍しかったのだと思う。

でも和歌はやっぱりいいものなんだからさ、もっと普及すればいいのに。そう思って『伊勢物語』の作者は(誰かはわからないけれど)この歌物語を書いたのかも知れないね。

作品情報

・作者:不明
・発行:岩波書店、角川学芸出版、他





 

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