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『仮面の告白』
物語よりもテーマを問う

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三島由紀夫の自叙伝的小説『仮面の告白』は、彼の小説家としての地位を不動のものとした佳作、とされています。その是非はこのさいどうでもよろしい。要は、三島由紀夫を語るにおいて重要不可欠な私小説であるということです。

お話は以下の通り。優等生の「私」にも不得手なことがありました。異性への関心、セクシャルな交渉を持つことができなかったのです。彼の悩みは成長に伴い、肥大化していきますが・・・というお話です。

中身などは実際に読んで頂けば分かるものとして、肝心なことは、これが仮面の告白と題されていることです。つまり、嘘っぱちかもしれませんよ、という含みを持たせているのです。物語の中にも「私」の偽りは出てくるのですが、じつはその偽り自体が偽りかも知れません。ダブル・スタンダードどころではないのです。


そもそも物を書くという行為自体、仮面の装着を意味します。そこで語られることが真実のみなんてことは有り得ません。文章なんて人為的に作られるしかないものですから。

べつに物書きではなくとも、普通に生きていれば仮面が必要となってきます。会社員としての仮面、夫や妻としての仮面、親としての仮面。動植物は名前を持ち合うなどをしませんから、与えられた名前ですら仮面なのかもしれません。私たちはむしろ仮面をつけてこそ、自らを実現しうる存在なのです。

その意味において、三島の告白(カミング・アウト)に見えて、実は読み手のアイデンティティへの揺さぶりが裏に潜んでいる私小説なのでしょう。私たちは、仮面なしには告白も出来ないのだ、と。

物書きの端くれとして言わせて頂けば、文体や表現自体は古典に位置するもので、今の世の人には若干読みにくいかもしれません。しかし翻訳モノの悪文に親しむより、今作のような日本語の妙をたたえた文章を読む方が、特に若い人には良いんじゃないかと思います。余計なお世話かもしれませんが。


作品情報

・著者: 三島由紀夫
・発行: 河出書房(1949年)







 

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