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『蟹工船』
その結末に小林多喜二は何を託したのか

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小説家であり共産党員でもあった小林多喜二(一九〇三-一九三三)が『蟹工船』を発表したのは、一九二九年のことでした。もっとも、当時は国の検閲に引っかかり発禁処分。原文にほぼ忠実な内容が公開されたのは一九六八年で、小林が特高警察に捕まり拷問の末に殺されてから三十五年後のことでした。

と説明されると、こう訝る人も多いのではないでしょうか。この小説は発禁に処せられるような「あぶない話」なのか。なぜ警察は小林を捕まえ、拷問して殺さなくてはいけなかったのか。『蟹工船』とは、そんなにとんでもない話なのか。わけがわかりませんよね。

『蟹工船』は(今の時点から事後的に見れば)そんなに不品行な話ではありません。舞台は蟹を漁獲、加工するための船です。そこに労働者は詰め込められ、酷使されるのですが、そのうちに彼らは権利意識に目覚めます。このまま俺達は資本家や国にこき使われて搾取されて死ぬだけかよ、冗談じゃねえ、と。それで彼らはストライキを企てるのですが、結局は何も変わりません。何も達成されず、何も成就しないまま、物語は終わりを迎えます。

「え、それで終わっちゃうの?」ですよね。小林は共産党員で、つまりは共産主義者でした。少なくとも共産主義に多少の共感はしていたはずです。だから彼にとっては「労働者の過酷」をありありと書くことが(おそらく)第一で、物語としての面白さは二の次だったのかも知れません。本作を、物語としてはつまらないと評する人も多いと思います。

で、こうなると「そもそも共産主義って何?」という疑問も出てきます。十九世紀由来の左翼用語は、現在ではおおむね意味不明になっているからです。日本共産党が民衆からなかなか支持されないのもそこでしょう。有権者の多くはまず「共産って何?」なのです。

共産主義というのは、社会主義の兄弟分みたいな思想です。だから社会主義と併せて説明します。その方がわかりやすいはずです。

争点となるのは、資本家と労働者との間の格差です。東洋経済オンラインによると、たとえば、ファーストリテイリングの二〇一七年時点の役員の平均年収(=唯一の社内取締役だった柳井正の年収)は二億四千万円で、従業員平均は七六四万円でした。柳井の収入は労働者の実に三十倍以上。でも柳井が従業員の三十倍働いたかというと、そういうわけでもない。こらアカンやろ、という所で「格差をなくそう」と提唱されたのが、社会主義や共産主義です。

これらの思想は、まず財産や資産の私的占有を制限します。そうしないと資本家の一人勝ちが止まらないからです。不動産や商売は、国(自治体)が国営化し専一的に管理する。そして収入は構成員に等しく分配します。たとえば日本全体の儲けが一兆円で国民が一億人だとすると、国民には一万円ずつ配られる━━平等ですよね。これが社会主義です。

共産主義も、不動産なり商売なりを国営化し管理するのは同じです。でも分配の方法だけが違う。共産主義は「必要に応じて分配」が原則です。全体の儲けを国民のうち必要な人に必要なだけ配する。それが共産主義です。現在までに社会主義を掲げた国は、旧ソヴィエト連邦、中国、北朝鮮、エチオピアなど、いくつもありました。でも共産主義を実現した国はありません。そりゃそうですよね。国民のほとんどがビル・ゲイツ並みに「カネに困ってない」じゃないと、こんなシステムは成り立たない。

つまり共産主義と社会主義の違いは、分け前をどう分配するか、その原則だけと言っていいでしょう。小林はこの共産主義を信奉していました。ところが、金儲けをしたい人、自分の財産を私有したいと思う人は、当然これらの思想を嫌います。それで国はこれらの思想を厳に取り締まりました。小林はその取り締まりの一環で捕まり、拷問を受け、二十九歳の若さで死んだのです。

共産主義や社会主義を実現しようと思えば、まず国民一人ひとり、労働者一人ひとりの自覚と権利意識が肝腎になる。それがないと、いつまで経っても資本家や権力者のいいように収奪されるだけだからです。だから小林は『蟹工船』を書き、人々に訴えた。でもその結末が示すように、小林は、一方で「現状はなかなか変わるまい」という諦観も感じていたのではないでしょうか。

思想で世の中を変える。それを世界で最初に実行したのは、十八世紀末にフランス革命を指導したナポレオンでしょう。思想(による革命)は、十八世紀に端を発し、十九世紀から二十世紀にかけて世界中に広がりました。と同時に、そのほころびもまた露呈し始めます。

思想とは━━社会主義であれ、資本主義であれ━━、それがどんなにもっともらしく見えても、所詮は個人が頭の中で構築した話に過ぎません。それで世の中(=全体)を変えようとするなどは、ある意味とてつもない暴力なのです。だってそれは、端的に言えば「俺の考えは正しい、だからみんな俺に従え」でしかないですから。だから旧ソ連や中国、北朝鮮など、社会主義を掲げた国にはナポレオンの亡霊(=強権をふるう独裁者)がぞろぞろと現れます。思想は簡単に暴力に転化し、暴力なしの思想は大した即効性を持たない。

小林はその生涯で、国家による「思想を取り締まる」という暴力を肌でひしひしと感じていたでしょう。だからか、作中の労働者は暴力的な手段で国や資本家を転覆しようとはしません。でもそれでは現状はあまり変わらないだろう。暴力に訴えることなく世の中を良くはできないものだろうか? 小林はそこを逡巡していたようにも思えるのです。

作品情報

・著者:小林多喜二
・発行:戦旗社、他





 

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