川端康成(1899-1972)は大阪府出身の小説家で、大正から昭和にかけて活躍した。様々なジャンルの小説を幅広く手掛けた彼は、その功績と筆致力、文才が認められ、1968年にノーベル文学賞を受賞した。同賞を日本人で受賞したのは川端と大江健三郎の二人しかいない。つまりそれだけ彼の小説は世界中で読まれているのだから、彼を「日本を代表する作家の一人」と評しても、決して言い過ぎではないと思う。
しかし彼は、ノーベル賞を受賞してしばらくのち、ガス自死でこの世を去る。同賞を受賞して自死した小説家というと、アーネスト・ヘミングウェイを思い出す人も多いだろう。小説家を続けることは自己破壊の衝動と戦い続けることでもあると言ったのは村上春樹であるが、川端とヘミングウェイの例を見ると「そうなのかもな」と思う。『掌の小説』は川端が自死する前年、1971年の3月15日に刊行された川端の掌編小説集である。
短篇小説よりもさらに短い小説のことを掌編小説、あるいはショートショートと言うが、川端は生涯におよそ130編の掌編小説を草したと言われている。そしてそのほとんどが『掌の小説』に収蔵されている。つまり本作は、川端の(掌編小説に限った)オールタイム・コレクションなのである。
率直に言って、川端康成には手を伸ばしにくいという読者が、存外多くいるのではないかと私は思っている。なんせ「ノーベル賞作家」である。そんな大先生の作品なんて、とてもとても。本棚に飾りとして配架するにはいいかも知れないけど、個人的に読むとなると覚悟がいるわ。そう感じる人がいても決しておかしくはないと思う。日本にはノーベル賞を権威の象徴みたいに信じている人が、なぜか知らん、とても多いのである。
でも『掌の小説』は(比較的)手に取りやすいのではないかと思う。ここには掌編小説、つまり(均して)数ページほどの短い作品しか収録されていない。これなら長編小説と比べてそんなに肩肘張らずにトライできるという読者も、結構多いのではなかろうか。
そして上述のように、本書には川端が生涯に草した掌編小説のほとんどが収録されている。つまり、本書一冊で川端康成という作家を(あくまで掌編小説という一つの側面からではあるが)俯瞰することだって、できるかも知れない。そこまで行かなくても、「小説家としての川端康成ってどんなもんやろか」と思う人にとっては恰好の第一歩、入門編なのではあるまいか。
日本で掌編小説、あるいはショートショートというスタイルを確立した作家と言えば、まずは星新一(故人)が挙げられるだろう。その星は本書に蔵されている「心中」を、自分には絶対書けないだろうと絶賛したという。もちろん、どう読むかは読者の裁量次第であるが。
ここからは余談である。川端がノーベル文学賞を受賞したことは前述した。仄聞するところ、その選考会では、日本の作家に賞を贈るとして誰が最適だろうかと思量され、川端のほかには谷崎潤一郎や三島由紀夫の名が候補に挙がっていたという。そして1994年には大江健三郎が同賞を受賞した。
この四人には実は「東大出」という共通点がある(谷崎は中退)。とすると、学歴エリートでないと同賞の候補に挙がらないのではないか、と邪推することだってできるのである。近年、村上春樹にノーベル文学賞が贈られるか否かを騒ぐ手合いが一部にいるが、村上が選ばれないのは、彼が東大ではなく早稲田卒であるからかも知れない━━とも考えられるのである。もちろん、早稲田を悪く言うつもりはないし、くだらない悪趣味な推論だと一蹴されても仕方ないとは思うけれど。