平安時代の和歌の名手、紀貫之は、自らが編纂に携わった『古今和歌集』の序文でこう言っている。「和歌とは、人の心(感情)から芽生えた言葉によって成り立つものである。何かを見たり聞いたりするにつけ、人の心にはさまざまな感情が生まれる。それを言葉で形にしたものが和歌である」と。もちろん、これは私なりの意訳ではあるけれど、大筋は合っていると思う。
和歌とは人の心のありようを詠んだものである。恐らくそうなのであろうし、だからこそ貫之の時代から千年以上を隔てた現代においても、少なからぬ人が和歌に親しむのだろう。古今東西、人に心があることだけは変わらないから。そして私は、鎌倉時代に成立した源実朝の歌集『金槐和歌集』が案外(というのもナンだけど)現代に似合うのではないかと、個人的に思うのである。
源実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男である。父、頼朝は十代半ばで伊豆に流刑に処され、当地の豪族(大地主のようなものですね)北条氏の娘、北条政子と出合い、婿入りを果たす。当時は夫婦別姓が当たり前なので、源頼朝は北条頼朝にはならなかった。頼朝は北条氏や他の豪族の助力を得て、鎌倉に幕府(政府)を創設。鎌倉幕府の初代将軍に就いた。とはいえ、幕府を実質的に運営していたのは北条一族だった。頼朝は、言うなれば「名家の婿養子」で、北条一族の会社で名目だけの社長に就いたようなものだった。
頼朝は女好きだった。ある日、彼は目当ての女の家に忍び込み、それを警備の人に見つかって誰何された。でもまさか「将軍、頼朝だ」とは言えない。北条一族の顔に泥を塗ることになってしまうから。それで黙っていたら警備の人に「怪しいやつ!」と切られて頼朝は死んでしまった、という説がある。歴史の教科書的には「謎の死を遂げた」らしいけれど。
そうなって、彼の長男(実朝の兄)が第二代将軍に就く。しかし、この長男はどうも「嫁に支配された夫」だったらしい。嫁は別の豪族(比企氏)の娘で、亭主が将軍の地位にあることを利用し、北条一族の地盤を乗っ取ろうと画策したという。北条氏の実際の総司令は、夫を亡くした北条政子━━第二代将軍の実の母である。政子は「お願いだから目を覚まして」と何度も長男を諌めるが効果はナシ。やむをえず政子は、実の子である第二代将軍を幽閉し、暗殺してしまう。
「夫は女好きで死んじゃうし、長男は悪い嫁にたぶらかされちゃうし、ホントもうイヤ!」と嘆いた(だろう)北条政子は、当時まだ十二歳だった実朝を第三代将軍に就かせた。「会社のことはお母さんやおじいちゃん(北条時政)がやります。あなたは黙って社長でいてくれたらいいの」ですね。
実朝は、歌集を作ったことからも分かるように、もともと文化人気質の人だった。彼は和歌が大好きで、京都の王朝文化に憧れていた。ところが、当時の豪族や武士というのは、平たく言えばヤクザ━━力にものを言わせる人達である。北条政子なんて、母や女であることより一族の頭目であることを優先したんだから、立派な「極道の妻」だと思いますね。
で、当時は、ヤクザの当主がハイカルチャーである和歌に没頭するなんて「何考えてんだか」だった。力がものを言う世界で、文化や粋が何の役に立つか、という見解が一般的だったんですね。実朝は「名家の坊ちゃん」なので、藤原定家━━小倉百人一首や『新古今和歌集』の撰者だ━━が和歌の先生を務めてくれたりはした。でも周りの人達は(母の政子を含め)誰も実朝の趣味を理解してくれない。多分「若殿の道楽狂いはどうにかならんかの」くらいのことは日常的に言われただろう。彼の精神は、四方を海に囲まれた孤島に佇むロビンソン・クルーソー同然だった。誰とも理解し合えない圧倒的な孤絶感。これが歌人としての実朝のシグネチュアになった。
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大海の 磯もとどろに 寄する波 破れて砕けて 裂けて散るかも
『金槐和歌集』に収められた実朝の歌である。どうだろう? 後半の波の描写が、ややしつこいと感じないだろうか? 破れるわ、砕けるわ、裂けるわ、散るわ。この描写を「丁寧」と取るか「執拗」と取るか? 後者であれば、この歌にはなんだか「思いつめた人」感もうっすらと漂う。
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世の中は 鏡にうつる 影にあれ あるにもあらず なきにもあらず
これも現代語訳は必要ないだろう。世の中や現実に対してうまくリアリティを持てない、周囲にとけこめない人が「現実ってなんなんだろう」と独りごちるように世を儚んだ歌。なんとなく、『敦盛』やフランツ・カフカの『変身』に通じるものがある気もする。
自分の趣味や嗜好を周りに理解してもらえない。そういう孤独を抱えた人は、現代には(恐らく鎌倉時代より)多くいるだろう。だから私は、現代にこそ、実朝の歌集が注目されていいんじゃないかと思うんですけどもね。
さて、最初はお飾りの将軍だった実朝も、長じるとともに政治にコミットするようになる。どんな変化が実朝の内面にあったのかは分からない。おじいさん(北条時政)が再婚して、その相手が「うちの娘婿を将軍にしましょうよ」と進言し、おじいさんもそれに乗った。お母さん(政子)は当然、烈火のごとく怒り、おじいさんを追放してしまった━━とかはあったけれど。そうして実朝が数え年二十八のとき、亡きお兄さんの子(実朝の甥っ子)が「お前のせいでうちの父さんは殺されたんだ」と逆恨みして、実朝を刺殺してしまう。政子はその死を、自死を考えるほどにたいへん悲しんだと伝えられる。