日本の大衆小説作家の登竜門・直木賞の歴史上、初の平成生まれの受賞者となった朝井リョウ(最年少受賞記録第2位である)。学生のうちから小説を発表し、一般企業の営業職に就職後も兼業作家として作品を作り続けている、まさしく今時の若手作家といった感じである。
そんな朝井の処女作でもあり、恐らくは彼の作品の中で、日本で随一の知名度をほこる小説が、彼が早稲田大学・在学中である2009年に発表した『桐島、部活やめるってよ』だ。タイトルからして今時っぽさが漂うが、直木賞受賞の先輩作家・宮部みゆきをして「時代の壁・世代の溝を軽々と乗り越えている」といわしめたその物語は、「現代を生きる多くの世代」への訴求力を備えた青春小説であるといえよう。
内容はオムニバムものであるし、目新しいものは何一つない。そう、主人公である平凡な高校生。多くはそうであると思うが、この年頃で変わった出来事に遭遇するなんて、めったにない。作者である朝井自身、そうであっただろう。
ただし、それは言い換えれば、「毎日が特別」ということでもある。青春時代というのは、思い返す分には毎日が未成熟さを伴う輝きに溢れているようだが、そのまっただ中にいる者にとっては、悶々と暗闇の中にいるような感じなのだ。『桐島、部活やめるってよ』で、朝井の描写はそのことを丁寧に伝えている。
つまり、この作品は青春時代に位置する者は勿論、その世代の子供を持つ親や教職に身を置く者に対しても、訴求性を持っているのだ。翻して言うなれば、独身貴族にはつまらない作品とも取れるわけだが。
社会人というのは、学生時代とは比べ物にならない程の「自由」を経験出来る。言わずもがな、それなりの責任も伴うが、体感できる世界の幅は間違いなく広がる。朝井の社会人としての経験が、今後の作品の度量を大きくするだろう。平たく言えば、より面白くなるだろう、と言うことだ。その意味でもベーシックである『桐島、部活やめるってよ』の一読は、すべての世代に有意義だ。