丁度十年前にあたる二〇一六年、この短編小説集『こちら葛飾区亀有公園前派出所 小説』についての記事を公開した。本稿はその改訂版にあたる。
なぜ改訂するのか。以前の記事は、諸事情により「提灯記事」に徹していた。だから本書を不自然なほどむやみに称揚していたのだが、あれから幾星霜を経て、そういう振る舞いは端的に「よろしくない」と思うようになった。それがこの十年の変化と言えるかもしれない。
書き手はできるだけ読み手(そこには近未来の自分も含まれる)に対して誠実である方がいい。その方が書かれる文章の風通しがよくなると思う。オーサーが思ってもいないことを綴ったテキストは、大なり小なり無理が生じて、読みやすさ(リーダビリティー)が損なわれる気がするのである。だったら自分の偽らざる感想をベースにして記事を書いた方がいい。それで全面的に書き直すことにした次第である。
で、本書を読んでの私の偽らざる所感は、副題の通りになる。この短編集には面白いと思える作品は一つもなかった、と。
とはいえ、本書に対する酷評は、集英社の担当編集者はある程度予想していたのではないかと思う。つまり私の感想は、作り手の想定内なのかもしれないのだが、それはそれとして、読み手の中には「そもそもこち亀を知らない人」もおられようから、まずは本書の概要を軽く説明したい。
こち亀こと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』は、集英社の「週刊少年ジャンプ」誌上で一九七六年に連載が始まった漫画である。作者は秋本治。前世紀末には単行本の巻数が百を突破し、一時は「長寿漫画といえばこち亀」と世間で認識されていた長期連載漫画である。連載は二〇一六年に終了したが、本書はその九年前の二〇〇七年、人気作家がこち亀をモチーフに短編小説を書いたらこうなったみたいな、いわゆる企画モノとして出版された。
企画に参加した作家は七人。大沢在昌、石田衣良、今野敏、柴田よしき、京極夏彦、逢坂剛、東野圭吾。いずれも純文学ではない、いわゆる中間小説(大衆小説)とか読み物と言われる分野で活躍する面々である。小説を全く読まない人でも、東野圭吾や京極夏彦あたりなら、その名前を見たり聞いたりしたことがあるのではないか。
こういう企画なので、七人の小説家のいずれかのファンだという人であれば、本書は楽しめるかもしれない。こち亀をモチーフにしているが、「プロの作家が書いた小説」であることは確かだから。
でも私はどなたのファンでもない。七人の作家陣の作品より、こち亀に対する思い入れの方が強いのである。小学生の頃から折に触れて熟読してきたのだから、それで当然だろう。
そういう私にとって、本書はなぜ面白くないのか?
参加した面々はいずれも大衆小説の作家である。つまりプロット重視の小説を書くことに長けた人達で、それゆえか、本書の監修は日本推理作家協会が担当していたりする。一方、こち亀の魅力は(管見では)物語の筋書きではない。率直に言って、筋書きなどあってないようなものという話も多いと思う。一話完結型のギャグ漫画であるこち亀の魅力は、やはり主人公=両津勘吉の奔放で型破りなキャラクターであろう。両津の出てこないこち亀など、読者の多くは求めていないはずである。両津が動き、その様子の描写を以って物語が動く。こち亀とは基本的にそういう漫画だと私は思っている。
今回集まった作家陣もそのことは充分に分かっていたはずである。だから「プロット重視」で作家としてやってきた自分が、いわば「キャラクター重視」の作品をどのように小説というフォーマットに落とし込むか、それぞれに自問して筆を手にしたはずである。別言すれば、既存のこち亀キャラクター達をどう魅力的に動かして、どういう物語にして読者を唸らせるか、そこがこの企画の肝なのである。
結果はどうか。読者の数だけ答はあろうが、私としては「面白くはなかった」と言うほかない。これら七つの話のうち、もう少し広げて中編(または長編)の形でじっくり読みたいとか、むしろこの話を逆輸入して秋本にコミカライズしてほしいとか、そう思える作品は一つもなかったから。残念だけれど。
作家陣の中には自分の小説の人気キャラクターを召喚して、こち亀のキャラと交わらせる「コラボ」に走った人もいる。でもそういうのって、そのキャラや作家のファンは喜ぶかもしれないけど、こち亀側の読者は十中八九「は?」となるんじゃなかろうか。それをするのが文芸誌の企画コーナーとかなら、まだ合点は行くけれど、「こち亀の小説版」でやることじゃないと思うんですけどね、と個人的には訝しく思う。
集英社の編集者もそこは分かっていたと思う。これはこち亀サイドの読者には多分ウケないだろうなと。でも短編小説を書いたのは、いずれも大なり小なり売れっ子の作家である。そして出版社には、なぜか知らん、漫画部門より小説部門の方がエラいというヒエラルキーが暗黙裡にあったりもするらしいので、漫画の編集者が名の売れた小説家にダメ出しするなどは到底できないだろう。「お忙しい中、今回の企画を引き受けて頂いて、本当にありがとうございます先生」としか言いようはなかったはずである。でも腹の中では「やっぱこち亀を小説にするってのはナシだな」と思っていた━━だからこの企画は一回きりで次がなかったのではと、私は邪推している。
本書はその後、二〇〇九年に新書版、二〇一一年に文庫版となって、いずれも集英社からリリースされた。文庫化の際にはタイトルが『小説 こちら葛飾区亀有公園前派出所』に改められている。