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『恋』
女性の、女性による、女性のための恋愛小説

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「不治の病」「死の淵にある」そういう状況にある人達は、筆舌にしがたい苦境にあるわけですが(人それぞれでしょうけれど)、一方で健常な人達の中には、そういう状況に憧れる人達が一部いるのも事実です。死を目前にした「可哀相」なキャラクター(読者自身の投影)を特別視して、自己憐憫にひたる。そんな心のマスターベーションも、読書の効用のひとつではあるはずです。

作家・小池真理子が「作家人生の転機となった作品」と語る、直木賞受賞小説『恋』は、そういったニーズに変化球的にこたえる、といったところで、日本人(特に女性)の絶大な支持を集め、累計発行部数は昨年末までに70万部を突破した、恋愛小説の佳作といえるでしょう。

といっても、この小説は別に「不治の病におかされた主人公の純愛ストーリー」というわけではありません。


主人公は女性。あさま山荘事件が解決した日にとある男を殺した、1972年当時女子大生だった矢野という人です。とあるノンフィクション作家が、その殺人事件に興味を抱き、懲役14年の刑に服し、今は出所してカタギの世界で生きる彼女に対し取材を申し込みます。矢野は当初その申し出を断り、姿をくらまします。やがてガンで死期が迫ったことを知った彼女は、一転してその取材に応じます。彼女が語る殺人事件の真相、そしてそこから漂う昭和中期独特の空気と志向性とは・・・という物語です。

一般論で言えば矢野が過ごしたドラマは倒錯してはいるのですが、破滅に帰結するような重々しくも清々しいムードは、読む者を見事なまでに虜にします。人によっては(というか、およそ大半の人にとっては)ヘキエキする内容ではありながらも、ページをめくらせる文章力と構成力は、まさしく直木賞を受賞するに相応しいでしょう。

私自身は浮気や不倫などを推奨する立場では決してありませんし、まして恋愛沙汰からの殺人など認めはしませんが、死と恋という二大幻想がバランス良く調合された時、美しさを持つという好例が存在することも、また否定しません。そしてそれは『恋』という小説なのだということも。


作品情報

・作者: 小池真理子
・出版: 早川書房(1996年)







 

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