『古今和歌集』は日本で初めての勅撰和歌集、つまり日本史上初の「国家事業として編纂された和歌集」です。成立は平安時代前期。収録した和歌の総数は千百を超えます。撰者を務めたのは、凡河内躬恒、壬生忠岑、『土佐日記』を書いた紀貫之、そして貫之のいとこにあたる紀友則の四人です。小倉百人一首に親しんだ方にはお馴染みの面々ではないでしょうか。
国家プロジェクトに携わるくらいですから、彼らは和歌の名手です。しかし、社会的にも立派な人達なのかというと、別にそんなことはありません。平安時代は藤原氏一強体制の時代ですから、はっきり言って「藤原氏ではない人」は社会的にはおおむね「パッとしない人」だったのです。
まぁ社会的身分はともかく、和歌の名手が選び抜いた古今の和歌を収めたのが『古今和歌集』あるいは『古今集』です。平安京ができて百年と少しばかりが経った時点での「和歌のベストアルバム」と言っていいでしょう。清少納言が『枕草子』内で本歌集に言及したり、紫式部の『源氏物語』でも本歌集の歌が引用されていたりと、本書に蔵された歌の数々は、平安時代中期以降の文化に少なからぬ影響を与えました。
それはそれとして━━なんだってこの時代になって、わざわざ国家事業として和歌集を作ることになったんでしょうかね? 平安時代より前の奈良時代には『万葉集』という和歌集も作られましたが、あちらは別に国家プロジェクトで作られたわけではありません。平安時代には(奈良時代と比して)和歌がより重要なものになっていたのでしょうか?
平安時代以前は「唐風文化」の時代です。つまり中国や朝鮮のあり方を絶対視していた時代。和歌は、別名「やまと歌」ともいう、日本独自のもので、奈良時代の日本人の一般的な価値観は「良いものとは中国や朝鮮のものを指すのであり、日本で作られたものなど取るに足りない」でしたから、国家事業として和歌集を編むなんて、とんでもハップンだったんですね。
ところが、時代が下って平安時代になると、人々は「やまと歌っていいよね」を当然とするようになります。常識は移ろうもので、また平安時代には、和歌が生活上不可欠になっていたということもあります。
現今、和歌は「優雅な趣味」くらいのものでしょうが、平安時代には「和歌がないと恋愛ができない」だったんです。日本では、『古事記』の時代から(身分の程度にもよりますが)女性が大っぴらに顔を人前に出すのはタブーでした。男女が夫婦の契りを交わした後、初夜で初めて旦那が奥さんの顔を知ったというエピソードもあるくらいです。平安時代、女に対してのハードルはそれくらい高かった。では、男はどうやって女にアプローチすればいいのか?
答は「和歌を女に贈る」です。男がいかに女に恋焦がれているかを和歌にして使者に届けさせる。その和歌を女が気に入れば、女は「あなた、ちょっとイイじゃない」という旨を、同じく和歌にして返事を出しました。そうして徐々に距離を縮め、頃合いを見て女の部屋に男が忍び込み、行為に及ぶ。これが作法だったのです。男の和歌が気に入らない場合は、女は返事を出さないか、つれない和歌を返事として差し出すかをしました。
和歌はこの時代のラヴレター的なものだったとよく言われますが、少しばかり違いますね。今のラヴレターは、相手に自分の人となりや好意を伝える一手段ではありますが、別に手紙を書かなくても、男と女は知り合えますし、会話もできます。でも当時の和歌は、それなしには男女が出合えないのです。和歌が詠めない男は、女の部屋に問答無用で押し入り、レイプするしかない。また、女だって良い和歌を詠めなければ「ダメ女」の烙印を捺されました。和歌は、当時の「教養」であり「生活必需品」でもあったのです。
だからこそ、この時代に「今昔の良い和歌を集めたベストアルバムを作ろう」は、国家事業であるべき重要さを持ちえました。当時の中流以上の人にとって良い和歌を作れることは、当世風に言えば、気の利いたトークができるとか、清潔にしているとかと同じ、異性と良好な関係を築くための大事な身だしなみだったのです。それなら「良い和歌とはどういうものか」を示す見本はあったほうが望ましい。こう考えるのは当然ですよね。
もしかすると『古今集』は、今で言う「異性とお近づきになるマナー」的な、恋愛ハウトゥー本に近い位置づけだったのかも知れません。
中流階級以上の人達が、そういう極めて人間的なことに耽溺していた。それでこその「平安」ではありましょうが、だからこの時代の治安や世相は極悪で、庶民の暮らしは苦しさを増すばかりだったという側面もあります。
『古今集』が成立し、やがて「国風文化」が確立されます。時代は「日本は日本でいいじゃん」という内向き志向になるのです。当時の政府(朝廷)は面倒臭くなって、遣隋使や遣唐使など、日本から中国へ使者を送る制度も廃止してしまいます。王朝は「よその国や庶民のことなんかもうどうでもいいや」で、色恋と人事と政争ばかりに関心を寄せました。平安時代とはイディオクラシー(衆愚政治)の時代でもあり、その序幕を飾ったのが『古今集』であるという見方もありえるのです。