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『御堂関白記』
藤原道長の33歳から藤原道長の56歳まで

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こんにちは、皆さん。ようこそお越しくださいました。本日のお題は平安時代の権力者、藤原道長が記したとされる『御堂関白記』です。まずこのタイトルについて一つ二つ。御堂というのは、道長が建立した法成寺の異名(もしくは道長自身の異名でもある)であって御堂筋のことではありません。念のため。

もう一つ。歴史好きの方には先刻ご承知のことと思いますが、彼は関白になったことがありません。このタイトルは後世の人が勝手につけたものです。勝手なことをするなぁ、と思われるかもしれませんが、そもそも平安や鎌倉の時代においては自身の手記にタイトルをつけること自体そんなにありませんでした。だから『御堂関白記』も『徒然草』も後世の人がつけた、いわば「通称」なんです。今だって日記をつける時に、「我が青春の日々」とかタイトルをつけるのは、いささか恥ずかしさがありますよね(ない人はないままで良いんですけど)。つまりそこはまぁ、現代と同じようなもんです。

道長という人は後世にまで大きな影響を及ぼした権力者です。どのくらい大きいかというと、平安時代から数百年後の戦国時代、豊臣秀吉が関白に出世する折に藤原姓に改めなきゃいけなかった(そうしないと参内できなかった)くらいです。もっとも秀吉はすぐに藤原姓を棄てて豊臣にしたみたいですけどね。

さて、絶大な権力者であった一方、彼は子煩悩の人でもあったようで、子供が生まれたら子供のためにと日記をつけ始めたそうです。それが『御堂関白記』です。期せずして、そこには33歳から56歳までの道長が記録されているというわけです。

藤原道長と聞いて「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌を思い浮かべる方も多いと思います。現代語訳すると「この世は私のためにある。満月のごとく完璧。一片の不足もないわ」となるでしょうか。要するに「笑いが止まりまへんわ」状態ですね。

でもこの歌、『御堂関白記』に書かれてはいないんです。まぁそりゃそうですよね。日記にこんな有頂天な歌を書く人って、ちょっとどうなのという気はします。

この歌、道長が宴会で酔って詠んだのを、政敵であった藤原実資が日記(『小右記』と呼ばれています)に「今日道長が酔っ払ってこんな歌を詠んでいた。どんだけぇぇ~」と記したものなんです。だからもしかすると、道長にしてみれば「ちょっと待ってよ、なんであんな歌が後世に残ってんの。恥ずかしっ。あれはねぇ酔った時の思いつきなんだから。ていうか、俺の功績で語り継がれることって、もうちょっと他にあったでしょうよ」と言いたくなる所かもしれませんね。


作品情報

・著者:藤原道長
・成立:治安元(1021)年前後





 

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