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『NANA』
お沼にはまって、さぁ大変?

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ここ何年かのことだと思うが、趣味に淫したり、何かのおたくと化したりすることを「沼にはまる」と言う人が増えたように思う。おそらく趣味の道にのめりこむ様子が、底なし沼にはまって出られなくなるさまに似ていることから、誰ともなくそう呼ばれるようになったのだろう。

そういう新語をどうこう言うつもりはないが、では沼にはまった人間は一体どうなるのか? それを遂行的に物語るのが、ゼロ年代を代表する少女マンガであろう、矢沢あいの『NANA』だと思う。

本作品が始まったのは、今から丁度22年前の2000年6月。まだ「イケメン」や「加齢臭」などの単語が巷に浸透していなかった時代。私が住む近畿圏は9日に梅雨入りした。とはいうものの、雨が降る日もあれば晴天の日も(当たり前ながら)あったし、気温も最高で23度くらいの日もあれば、32度をマークする日もあった。つまり、今となんら変わらなかった。ちなみに地球温暖化は前世紀末から喧伝されていて、当時は「このままだと海面上昇が起きて2020年には日本は海に沈んでいますよ」と脅かす輩が我が物顔でメディアに出ていた。彼らはどこへ行ったんだろうか? 結局温暖化はどうなったんだろうか? 年々夏が暑くなっているとうなだれる人もいるけど、それは多分、暑気や暖気に耐える体力が年々衰えているだけじゃないのか?

話が逸れてすまない。ともあれこの2000年6月に『NANA』は集英社の月刊誌『クッキー』上で連載スタートとなった。

作品は人口に膾炙し、ゼロ年代半ばには実写映画化、アニメ化もされた。単行本の累計発行部数は、2020年の時点で約5000万部。これは『ガラスの仮面』に匹敵するベストセラーだという。しかしこうした人気が重圧になったのか、作者の矢沢は病気に罹り、療養のためマンガ連載は2009年の6月に中断。以降、現在に至るまで未完のままとなっている。

と、こういう次第だから、本作品を「ゼロ年代を代表する少女マンガ」と表現しても、そんなに奇妙なことではないと思う。そしてこういった圧倒的人気を誇った『NANA』とは、どういうマンガなのか?

主人公は2人の「ナナ」である。1人は大崎ナナという20歳前後の女。彼女は「ブラック・ストーンズ」というバンドのヴォーカルを務めるバンドマンで、両親は不在、育ての親である祖母も彼女が中学生の時に他界したという天涯孤独の身である。そういう身の上の彼女が20歳になる誕生日に、もう1人の主人公である小松奈々という同学年の女と邂逅する。やがて彼女達は東京でルームメイトになるが、どちらも貞操観念はそんなになく、程なくして複雑に入り組んだ男女問題が展開される。

小松は一般的な家庭で育った普通の女で、大崎の知人達とも懇意になる。そのうちバンド「ブラック・ストーンズ」はデビューを決めるものの、いろいろとあって大崎はソロ活動へとシフトする。また小松も妊娠が発覚して結婚。2人の共同生活は束の間のものとなり、それぞれ別の道を進む。

未完となっている現在、この物語を端的に説明するとこうなるだろう。要するに、「ずぶずぶの人間関係しかない」というか。

作者はこの作品を通して「バンドマンやその周りにはロクな人間がいない」と訴えたかったのだろうか? 失礼かもしれないが、そう邪推してもおかしくはないくらい登場人物の面々には救いがない。彼女達は刹那的で、瞬間的な快楽や事情、あるいは世情の大きな流れにただ受け身で流され続ける。意志はあるのだけど、それを是が非でも貫こうというヴァイタリティはない。だから彼女達の物語は、ただ袋小路を描くだけになり、「出口なし」感が横溢する。

彼女達のありようは、実はおたくのそれと似ているように思える。おたくとは「刹那的で、瞬間的な快楽や事情、あるいは世情の大きな流れにただ受け身で流され続ける」人達でもあろう。ゼロ年代後半、中川翔子やよしたにが人気を博し、おたくは徐々に日陰の存在ではなくなった。10年代になれば、おたくを自ら名乗る人は珍しくなくなる。それは「沼にはまる」が一般化したということでもあろうが、では沼にはまった人はどうなるのか? 2人の「ナナ」の顛末は、それを雄弁に物語るものである。

ともすれば、本作品は読者である少女に対して、「ちゃんとしなさい。さもないと、こういうロクでもないことにしかならないよ」というメッセージを暗示しているのかもしれない。もちろん、どう読むかは読者それぞれの裁量次第であるけれども。

作品情報

・作者:矢沢あい
・発行:集英社





 

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