ちょっと前に、ピカソの孫娘が書いた『マイ・グランパパ・ピカソ』(小学館)という本を読んだことがあります。彼女たち一族が、偉大なる「ピカソおじいちゃん」のおかげでどれだけ苦しんだかが克明に記されていました。もっとも私にとってインパクトがあったのは、ありがちな美術評価を伴うものではない、生身の人間としてのピカソが描かれていたことでした。あれは肉親にしか書けないでしょう。ピカソの別の側面を見た思いでした。
つまり、語りつくされた観のある歴史上の偉人(とされている人)でも、それまでとは異なる独自の視点から見れば、別の面白さが浮かび上がるのです。『英語教師 夏目漱石』なんかも、その類だと思います。漱石と言えば、鴎外と並ぶ明治の文豪。それが一般的なイメージのはずです。現代の日本語の礎は漱石が築いたと言っても過言ではありません。また、彼は思想家としても優れていて、西洋思想に疑念を抱いていました。欧米を美化してやまない日本人が今もいることを考えると、彼は時代を先取りし過ぎた人だったのです。
とはいえ彼とて生まれつき作家だったわけではありません。彼には英語教師としてのキャリアがありました。彼の代表作『
坊っちゃん』の主人公は数学教師でしたが、その下地は恐らく英語教師としての漱石自身です。当時では珍しいイギリスへの留学経験から、発音がパーペキ(古いですね)。仕事熱心で有能な教師という評価を得ていたそうです。
しかし周囲の評価がどうであれ、漱石は悩んでいました。「おれ、教師に向いてへんのちゃうか」と。断っておきますが、関西弁は私の脚色です。漱石は江戸っ子です。それはともかく、もともと正岡子規と交流があったくらい、文芸の世界に興味もあったわけですから、作家になる素質は十分あったのです。彼が教師であることに疑問を抱いていたのは、歴史的な必然という気もします。
漱石の門下生の一人、芥川龍之介は、『侏儒の言葉』でこう言っていました。「天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである」と。明治の天才的文豪というと、どうしても遠い存在に思えますが、英語教師とすると、グッと親近感がわくものです。『英語教師 夏目漱石』には、生身の夏目金之助(漱石の本名)が感じられるようなエピソードが散見されます。