こんにちは。本日のお題は、小田嶋隆の『災間の唄』です。実は私、最初この表題を「災問(さいもん)の唄」と勘違いしていました。災問とは、文字通り「災いを問う」という意味なんでしょうけど、このサイモンはアメリカの歌手サイモン&ガーファンクルに由来します。小田嶋隆だったらそういうタイトル付けそうだもんな、という思い込みがあったんでしょうね。
小田嶋隆は1956年、東京に生まれたコラムニストです。1980年に東京の大学を卒業後、小学校の事務員、ラジオのADなどいくつかの職を転々とし、やがてコンピューター関連のコラムを書く「テクニカルライター」という立場を確立しました。1988年には、処女作となるコラム集『我が心はICにあらず』を発表。その後、世紀を跨いで多くの著述を世に出しました。
小田嶋は、20世紀いっぱい「テクニカルライター」としてさまざまな媒体に寄稿しましたが、そのコラムには時事への関心はほとんどないに等しかったと思います。1999年に小学館文庫で出た『パソコンは猿仕事』でも、新聞の政治経済欄には大して用がないという旨がありましたし。ところが00年代に入ると、彼は時評をこなすコラムニストへと変質していきます。
その変質は、ある程度仕方なかったのかも知れません。2018年にミシマ社から刊行された『上を向いてアルコール』によると、彼は30代でアルコール依存症と診断され、禁酒生活に転じたそうです。アルコール依存症から脱却するには、依存症になっていた時分と、生活スタイルを一変させる必要があるのだとか。それまで趣味でロックを聴いていたならクラシックに変えるとか、それまでの趣味が野球観戦だったらサッカー観戦に鞍替えするとか、とにかくガラリと変えなくてはならないと。小田嶋はそれをして依存症からなんとか抜け出したのです。
彼が断酒したのは90年代半ば、39歳の時です。そこで彼は、自らのライフスタイルを意図的に変化させ、再構築した。その過程で、それまではそんなに興味がなかった政治や時事問題に(おそらくは意識的に)関心を寄せるようになったのかもな━━と私は思うのです。
「時評コラムニスト」になった小田嶋は、時事や思想の世界の論客と目される機会が増え、だからというのではないでしょうけど、2022年6月に身体を悪くし、他界しました。謹んでご冥福を祈ります。
さて、上述の『上を向いて~』は勿論、坂本九の名曲「上を向いて歩こう」の地口です。小田嶋の処女作の表題は、高橋和己の小説『我が心は石にあらず』をもじったもの。小田嶋は、そういうシャレっ気(というか)を大事にする文筆家だったんですね。だから私は冒頭で「小田嶋隆だったらそういうタイトル付けそう」と述べたのです。
本書『災間の唄』は、小田嶋が2009年に始めて以降、亡くなる前まで腐心していたツイッターのツイートを、彼と交流があったライター武田砂鉄が選別し、編集した、いわゆる「ツイッター本」です。刊行は2020年10月。東日本大震災から「コロナ禍」に至るまでの時期(まさに「災間」です)から選ばれたツイートは、時評や風刺も含みつつも、必ずしもそればかりではない、小田嶋の「つぶやき」です。いくつか例を挙げてみますね。
「
孤独死というのは発見者の側からの言い方で、本人にとっては孤独な生からの解放だったりするんではなかろうかとか、思わずネガティブなセリフを吐いたが、今日は誕生日だ。一緒に駆け抜けて行きましょう。この時代! とか、薄気味の悪いことを書くべきだったな。吐きそうだ」
(2012年11月12日)
「
スマホがなかった時代、いけ好かない上司やバカな同僚との飲み会は、本物の地獄だった。このことは、30代以下の若い人たちに、ぜひとも伝えておきたい。君たちの年長者は、その地獄をくぐりぬけるために、鉄壁の鈍感を身に着けざるを得なかった。そのことをどうかわかってあげてくれ」
(2018年12月30日)
「
まとめるとこんな感じだろうか。
※不要不急:天皇誕生日の式典、音楽・演劇イベント一般、プロスポーツ、競馬・競輪、正社員の出勤、学校
※必要不可欠:満員電車、非正規雇用者の日銭仕事、政治家の資金パーティー、首相の支援者との会食、五輪がらみの競技大会」
(2020年2月29日)
本書のあとがきで小田嶋は、自身にとって本当に愛着があるツイートは駄洒落などのネタであるが、バランスの都合上それらはほとんど本書には収録されなかった、だからそういうネタを主軸にした第2集『災間のバカ』を刊行したいと語っていました。私もそれを、心待ちにしています。