当サイトの「エッセイ」欄を見て、ふと思う。エッセイをフィーチャーして、どうして俺はこんな小難しいことをつらつらと書いているのかと。こう書くと「お、のっけから頭いい自慢ですか?」と揶揄する人もいるかもしれないし、どう捉えて頂いてもそれは自由なのだが、自分が書いたテキストを読み返して「なんでこうなっちゃったかなぁ」と首を傾げてしまうことは、わりと誰にでもあるのではなかろうか。
というところで、今回は『空を結ぶ』というエッセイを取り上げる。それは、本書について書くのであれば、小難しい方向にはそう進まないだろうと臆断するからでもあるし、はたまた、この本の著者も(私と同じように)自分が本書のために書いた文章を読み返して、「なんでこうなっちゃったかなぁ」と首を傾げることがあるかもしれないと思うからでもある。
後者の理由については本稿を読んで頂くとして、本書『空を結ぶ』は、気楽に読んで差し支えないエッセイだと言っていいと思う。
著者の駒木結衣は、前世紀末の一九九六年六月に宮城県で生を受けた女性である。二〇一八年以降は千葉県のウェザーニューズ社に属し、いわゆる「お天気キャスター」として、現在(二〇二五年八月)に至るまで同社の気象情報番組で活動している。本書は二三年一月にワニブックス(講談社の子会社)からリリースされた、彼女の最初のフォトエッセイである。
と、こういう話になると、以下のような反応が予想される。
「そりゃつまり実質的には写真集だろ?」
「だよな。あれだろ? 女の写真がデーンとあって、申し訳程度に二~三行の薄っぺらい内容のテキストが小さいフォントで添えられてるっていう」
「ははは、まぁ確かに気楽に読めるっちゃ読めるわな。でもそれにしたって、いきなり軟派な方向に舵切り過ぎじゃないか?」
なるほど。もしかすると我がまほろばの国において、「お天気キャスター」というタイプの人間は、ルックスが最大の売りで、ために大衆を満足させるだけの文章は到底望めない━━みたいな偏見を持たれているのかもしれない。
世に数多いる「お天気キャスター」の筆致が実際どうなのかは分からないが、当時の著者に限って言えば、「大衆を満足させるだけの文章は到底望めない」のは仕方ないと思う。
駒木結衣(本書のサンプル画像)
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本書が出た時点で、著者は齢二十六である。若い。若いということは、端的に言えば「中身がない」とか「馬鹿である」とほとんど同義で、だからこそ若い人は概してアクティヴであったりする。荷物の積載量が少ない飛行機ほどすいすい身軽に飛べるように。
ただ断っておくが、では中高年は「中身がある」のか、「馬鹿ではない」のかというと、これは一概には言えない。人によっては、中身がないまま、馬鹿なまま歳を重ねることもある。男女を問わず。
話を戻すと、当時の著者は社会人としてのキャリアも四年ほどしかない若い女性で、それなら一般大衆の読者をうならせるような内容の文章を書ける見込みは限りなくゼロに近かろう。である以上、彼女のポートレートを主軸にした本づくりは、むしろ賢明な選択ではないかと思う。人前に出る職業に就くくらいだから、彼女がまずいルックスであるわけはないのだし。
私は男なので憶測になるが、女性が一定水準以上のルックスを作り上げ、維持することは、結構な努力や根気を要するはずである。それにプロの文筆家でもない身でエッセイを書いて本を出すプレッシャーもあったろう。つまり、軽く見られがちなフォトエッセイではあるが、その制作過程にはそれなりの苦労や腐心があったはずだということである。気軽に読める読み物だからといって、気軽に作られたわけでは決してなかろう、と。
肝腎のエッセイ部分であるが、これは(写真集と思って見ると)なかなかヴォリューミーである。語られるのは自身のこと、仕事のこと、空模様についての雑感など。故郷を離れ、首都圏で働いて生きる二十代半ばの一人の女性の姿が実直に綴られていると言っていいと思う。若いとは「馬鹿である」とほとんど同義だと前言したが、その分、彼女の裸の人柄が文章のあちこちに感じられるのではなかろうか。彼女自身が順調に歳を重ねて、四十前後になった頃に本書を読み返したら、あるいは若い自分の明け透けぶりに赤面するかもしれない。「若い文章」とはそういうものであったりするから。
なお、本書には、著者のキャスターとしての同期生である檜山沙耶との対談も収録されているが、檜山は翌二四年三月に退社。その三ヶ月後、著者はSNS上で自身の結婚を報告した。