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■ 7月31日から8月30日にかけて、「エッセイ」をフィーチャーします。







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『たそがれ清兵衛』
「小説と映画は別物」ではあるけれど

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「たそがれ清兵衛」と聞くと、ああ、真田広之が主演していたあの映画か、と思う人も多かろう。今も昔も「小説の映画化」などは珍しくもないから、あの映画は小説を原作にしたものなんですよと言っても、驚く人とているまい。でも、あれはいくつかの短編小説をアジャストして繋ぎ合わせたものなんですよと言えば、何人かは「へぇ、そうなの?」と思うのではあるまいか。

というわけで、短編小説集『たそがれ清兵衛』である。

『たそがれ清兵衛』は、藤沢周平(1927-1997)の短編時代小説集である。藤沢が『小説新潮』誌に1983年から1988年までの間、断続的に発表してきた8編の時代小説を収録したもので、1988年9月に新潮社より単行本が刊行され、その後、新潮文庫に収蔵された。

藤沢の没後、2002年に、本書の表題作「たそがれ清兵衛」を含むいくつかの短編をベースに映画が作られ、公開された。それが上述の「あの映画」である。この真田広之が主演した映画を「たそがれ清兵衛」として記憶している人も結構多いかとは思うが、いかんせん評者はこの映画を観たことがない。だから映画版については言及しようがないし、映画版と原作を比較しての批評などもできない。ただ、仄聞するところによると、小説と映画はそれなりに別物であったという。

短編小説集『たそがれ清兵衛』の紹介となると、これくらいしかない。8編の時代小説から成るものだから、それらをいちいち説明していたらきりがない。そんな説明を読むくらいなら、最寄りの図書館で文庫版を借りて読んだほうが(多分だいたいの図書館にはあるだろう)早いと思う。野球観戦の折には、スコアボードや解説より、ゲームそのものを見たほうがいい。

というところで、話は「本書はどのように“見られた”のか?」である。 

ここでは一先ず、藤沢の経歴から話を始めてみたい。

山形の農家に生まれた藤沢は、幼い頃から読書家で、子供の時から時代小説の習作をしていたという。戦後、藤沢は学校を出て教員となるも病に伏し、入院生活を送る。その後、新聞記者となり、自身が44歳になる1971年に作家としてデビューした。

1971年、藤沢が書いた作品は、文藝春秋社が主催する大衆文学系の新人賞「オール讀物新人賞」を受賞。翌年には直木賞を受賞した。かくして藤沢は、新進気鋭の作家として文壇(作家や編集者、評論家で構成される社会)入りを果たした━━というが、評者はこのあたりに、文芸界固有の「なんだかなぁ」な構造を感じる。

新人作家に与えられる文学賞として国内で有名なのは、やはり芥川賞であろう。このあたりを説明すると、純文学系の新人に与えられるのが芥川賞であり、大衆文学方面の「もう新人と呼ぶにはちょっと」な人に与えられるのが直木賞である(主催は共に文藝春秋社)。一般に、芥川賞作家より直木賞作家の作品のほうが面白いと評されがちなのは、こういう事情による。

文壇においては、純文学は「人生とはいかに生きるべきか」みたいなテーマを扱う高尚な小説であり、そこに属さない小説は、娯楽向けに書かれた軽い大衆小説、あるいは小説にも価しない単なる「読み物」と見なされる。そういったヒエラルキーが隠然と存在する。藤沢が初めてもらった賞が「オール讀物新人賞」で、翌年に受賞したのが直木賞であることには、こういうバックボーンがあったりもするのである。

とはいえ、純文学と大衆小説あるいは読み物の間に、明確なボーダーラインがある訳ではない。だから、大衆向けのエンタメ小説や読み物と目される作品であっても、そこに「人生とはいかに生きるべきか」的なテーマが潜在していることは、決して珍しくない。吉川英治の『宮本武蔵』や、藤沢の『たそがれ清兵衛』に人生を学ぶ読者だって、それなりにいるはずなのである。

本書『たそがれ清兵衛』は、なんの文学賞も受賞しなかった。一方、映画版のほうは日本アカデミー賞の全部門で優秀賞を受賞し、アメリカのアカデミー賞(外国語映画賞)にもノミネートされた。もちろん、小説と映画は別物であるとは承知している。ただ、それにしても、日本の文壇に「作品を見る目」ってどれくらいあるのかなと、疑問に思ってしまう話ではあろう。

作品情報

・著者:藤沢周平
・発行:新潮社





 

『宮本武蔵』
吉川英治が叙したバガボンド