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『天空の蜂』
東野圭吾の無視され続けた(?)サスペンス

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東野圭吾と言えばミステリー作家であるという印象をお持ちの方も多いだろう。しかし彼が1995年に上梓した『天空の蜂』は、ミステリーとは一線を画した、サスペンス小説である。「天空の蜂」を名乗るテロリストが、大量の爆薬を搭載した軍用ヘリコプター「ビッグB」を遠隔操作で奪取し、福井県の高速増殖炉へ向かわせるが・・・と、こういったあらすじだ。

軍事マニアには先刻ご承知の事と思うが、作中に登場する軍用ヘリ「ビッグB」は実在しない、フィクションの小道具である。もともと東野がヘリコプター・エンジニアからヘリの話を聞いていた時、大型無人ヘリが原子炉の上空で停止している映像を思い浮かべたところから、物語の構想は始まったのだとか。


このサスペンス小説はいかにして生み出されたか、その経緯を説明しよう。1993年当時の東野は、1985年の作家デビュー作『放課後』こそ10万部のヒットを記録したものの、後に続く作品は鳴かず飛ばず、いわゆる売れない作家だった。もっともこの年に刊行された『同級生』は、まずまずのヒットだったのだが。

そこで東野は考えた。「自分にとってのホームラン」を打つ必要がある。そのためには徹底した取材と構想が必要だ、と。先述の技術者から聞いた話と、自らの中に浮かんだ映像を足掛かりに、タイトルを『天空の蜂』と決め、3年がかりの取材が始まった。

以降、東野は、様々な原子力関連施設、自衛隊、ヘリコプター・エンジニアや航空工学関連の技術者に取材を重ねた。1995年、阪神・淡路大震災が起こった年には、高速増殖炉「もんじゅ」に関する討論会にも参加したと言う。原発に関して、賛成派にも反対派にもジレンマがあることを東野は感じ、自分の作品においては双方の主張を捉え、徹底してニュートラルな立場を描く決意をしたとか。

かくして、1995年末、『天空の蜂』は刊行された。これはベストセラーになる、と東野は信じてやまなかった。2007年の段階で「今まで描いた作品の中で一番思い入れが強い」と語ったほどの自信作だったのだ。しかし売れなかった。'95年末、「もんじゅ」が火災事故を起こした折も、本書は無視された。東野いわく「書評家たちがなぜ『天空の蜂』を無視したのか、いまだに謎」だそうだ。

原子力発電に関して、未だに日本人は思考停止している。反対派は「即刻廃炉にせよ」と言うが、技術的に廃炉になど簡単にできるわけがない。それに原発を無くせば火力発電や水力発電に頼らざるを得ないが、温室効果ガスや大気汚染、森林破壊の問題は見て見ぬふりをするのか。反対派は依然としてこれらの問題を建設的に考えようとはしない。


賛成派も同様で、経産省や文科省、読売新聞社らは、自分達がいかにして原発を日本に誘致したのか、そしてなぜここまで危機管理が出来ていない、杜撰な体制なのか、説明責任を果たさない。また、原発につきものの「核のゴミ」もどうするのかは未だ不明のまま。つまり反対派も賛成派も基本的にコミュ障なわけで、原発に関して、多くの日本人の本音は「何も考えたくない」なのだ。それゆえ多くの日本人は『天空の蜂』とマトモに向き合えずに来たのである。

裏を返せば、20年以上前の作品ではあれ、『天空の蜂』の価値は失われていないとも言えるだろう。事実、発表当時こそ売れなかったが、今なお絶版に至らず、2015年には単行本新装版が刊行された。




※参考文献:
東野圭吾『たぶん最後の御挨拶』文藝春秋(2007年)
有馬哲夫『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』新潮社(2006年)
有馬哲夫『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』新潮社(2008年)
池上彰『池上彰の講義の時間 高校生からわかる原子力』ホーム社(2012年)


作品情報

・著者: 東野圭吾
・発行: 講談社(1995年)







 

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