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『遠野物語』
遠野地方に伝わる百十九の奇譚

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本書『遠野物語』は、本邦で民俗学を確立したとして名高い柳田国男が、一九一〇年六月に自費出版で出した、遠野地方に伝わるいろいろな伝承話をまとめた説話集である。そういう本を、私は「小説」に分類する。小説とは、手元の辞書によれば「作者の奔放な構想力によって、登場する人物の言動や彼等を取り巻く環境・風土の描写を通じ、非日常的な世界に読者を誘い込むことを目的とする散文学」(※)であるらしい。それなら本書は、立派に小説であろう。そう思うからである。

本書は百十九の説話を収録している。そこには人間も出てくるが、山の神様、幽霊、天狗などの幻想的なキャラクターも出てくる。奇譚集と言っても差し支えないだろう。これらの話は、柳田が育ってくる過程で自然に耳にしたものではない。柳田は、小説家になろうと志し岩手県の遠野から上京していた佐々木喜善(ペンネームは佐々木鏡石)から、これらの話を口伝で聞いた。現代風にいうなら、柳田は聞き書きのライターなのである。柳田によるインタヴューは一九〇八年に始まり、翌〇九年の初夏に終わった。

本書が出版された一九一〇年は、近代日本史的には「大逆事件の年」である。当時の刑法では、皇室に対し危害を加えたらもちろん、危害を加えようとしていると疑われたら、もう「大逆罪」が適用された。これは一審で一方的に確定するため、被告側に控訴という手段はない。二十六人が当局に問答無用で逮捕され、二十四人が死刑を宣告された。このうち十二人は明治天皇の「仁慈」により無期懲役に減刑されたが、残り十二人はしっかり死刑に処された。その中には思想家の幸徳秋水もいたので、この事件は「幸徳事件」とも呼ばれる。

「危害を加えたから死刑」ならまだ分かるが、何もしていなくても疑われたら死刑というのは、中世ヨーロッパの魔女裁判と大差がない。国民の人権などは意に介さない日本政府のブラック裁判、その典型例である。当時の流行作家であった徳富蘆花は、この判決にショックを受け、朝日新聞に「天皇陛下に願い奉る」という上奏文を寄稿した。

日中戦争や太平洋戦争が勃発するのは、この二十年以上後である。しかしそこで日本政府が思想統制やファシズムに乗り出したわけではない。一九一〇年の時点で既に「国家が国民を一方的に弾圧する」は起きていた。そして二年後には明治天皇が崩御し、明治という時代も終わる。事後的には「不穏な時代」に見えるこの時代だが、文化方面ではその不穏さはいささか変わった形で表れていた。怪談ブームである。泉鏡花を筆頭に、二十世紀初頭の文化人や知識人の間では怪談が流行っていたのである。そこで「怪談を上手く語る人」として名を馳せたのが、岩手県出身の佐々木鏡石だった。

つまり、佐々木は柳田に怪談を語っていたのである。インタヴューが行なわれた当時、佐々木は二十代、柳田は三十代半ばだった。小説家志望の若い男が、十歳ほど上の人に地元に伝わる奇譚を語る。そこに若干の脚色が施されても、全然不自然ではないはずである。

話そのものがウソだと言っているのではない。話の内容を多少飾ったり、逆にオブラートに包んだりが、随所であったのではないか。そういうことである。佐々木にとって、地元に伝わる奇譚を物語る第一の目的は「柳田を怖がらせること」であったろうから、そうであって少しもおかしくない。

一方、柳田は民俗学という学問を確立させる途上で、佐々木の話の聞き書きをした。つまり柳田にとっては、佐々木の話を聞くことは「データ採取」だったはずなのである。だから話の細部にこだわった。たとえば本書の第五話では、書き手が異様なまでに数字と地理に拘泥している様が見て取れる。

かたや「怪談を語る」、かたや「データ採取」。両者の意図は、一見すると合致していない。齟齬があるように見える。しかし、だからこその化学反応が、他に例を見ない妙味を本書に宿らせているフシもあるのである。

現代日本では「客観的事実」があると信じる人が、結構たくさんいる。しかし私達が生きる現実は、往々にして、何が事実で何が虚構かが分からなかったりするものである。事実かウソかという純正な二項対立では、人の世界は語りえない。中には「物語を通じてこそ語りえる真実」だって、あるといえばあるだろう。本書が暗に語るのはそういうことかも知れず、それなら本書を「小説」としても、そんなに間違ってないのではないか。

もちろん、だからといって、暗黒裁判で国民を一方的に断罪するなどがあっていいとは微塵も思わないが。


※『新明解国語辞典 第五版』(三省堂、一九九九年)

作品情報

・著者:柳田国男
・発行:新潮社、大和書房、岩波書店、他





 

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