『徒然草』といえば吉田兼好が鎌倉時代に書いた随筆である、というのがおそらく日本に流布する一般常識だと思う。けれどたぶん、ご本人をどうにかして現代に召喚したとして、「吉田兼好さんですよね?」と訊ねたら、「いいえ、違います」と返ってくるだろう。彼の本名は卜部兼好(うらべかねよし)だからである。後世のドサクサで、ご本人の与り知らぬ所でいつの間にか吉田姓にされてしまったらしい。
ちなみにもっと言えば、兼好が『徒然草』を書いたという歴史的証拠は何もない。『徒然草』の内容はヴァラエティに富んでおり、人生論から政治批評、笑える失敗談、果ては歴史の再確認から世の中への警告まで多種多様である。このヴァラエティの豊かさゆえ、兼好の他にも執筆者がいたのではないかと考えても、そんなにおかしなことではないだろう。
けれどそれでは話として埒があかない。なのでここでは、兼好が『徒然草』を書いたということにして、話を進める。
先述の通り、『徒然草』の内容は多岐にわたるものの、多くは兼好の思索や雑感に準じていると言っていいだろう。
たとえばこんなのがある。「最近変わった名前のやつ多いやん? あれどうなんやろね。難しい名前付けたら賢いみたいに思とんのかもしらんけどさ、普通でええやんか」というようなもの。(あくまで筆者による現代語訳、要約です)
完全に現代のオッサンの愚痴である。現代でもキラキラネーム(と今でも言うのだろうか?)にいらいらする人がいるが、約700年前の時代を生きた兼好も、同じようにぼやいていた。当時は国民国家などの概念はまだなく、漢字やひらがなもまだ発展途上でさまざまな文字が混在していたと思うので、現代とは背景が少し違うかもしれない。しかし、現象に対する感想という点においてはそう違わないのである。
また、こうも言っていた。「
妻といふものこそ、をのこの持つまじき物なれ」と。要するに、「男は妻を持ったらあかんで」と、独身主義を説いているのである。実際、兼好に妻子はいなかったという。
結婚という制度に対して異議を唱えているのだろうか。しかし、別の段で彼が展開した女性論によると「女ってひがみっぽいやん。やれしょうもない他人と比べて自己主張しよるしさ。貪欲やし、アホやし、突然とんでもないこと言い出しよるし、おまけに表面ばっか飾り立てよってに、ホンマ素直やない」とのこと。一言で言うなら「女ってマジ意味プー」とぼやいているのだ。まさしくオッサンの愚痴である。
ただし、そんなぼやきだけでは、歴史の淘汰圧をここまで乗り越えてはこられなかっただろう。続く段では、ちゃんと女性へのフォローもしている(フォローになっているのか甚だ心許ないけど)。そして男が女性と付き合ってゆくにおける訓示も彼はしっかり叙している。どんなものかって? それはご自身で確かめてみてください。