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『うしおととら』
藤田和日郎の、連載作家としての起点

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前回は久米田康治の最新作『かくしごと』を取り上げたわけですが、久米田さんとくればやはり藤田さんですよね。藤田和日郎。この両名は私の中では切り離せない。それくらいに仲が良い(と言うべきか何と言うべきか)二人という印象があります。

で、藤田さんの代表作と言えば、やはり『うしおととら』でしょう。中学二年の蒼月潮が、ひょんなことから自宅の倉の地下に落ちる。そこには「獣の槍」という武具で刺され、封印されていた強面の妖怪がいた。妖怪は「この槍を抜きな、小僧」と居丈高に言うけれど、潮には妖怪に協力する義理もメリットもない。しかし、諸事情があって彼はその槍を抜いてしまう。かくなる奇縁によって潮と妖怪は暫し生活を共にする、といったお話です。

近所に蔦屋書店があるので行ってみました。少年向けコミックのコーナーには藤田和日郎の最新作『双亡亭壊すべし』があります。それはいいんです。問題は、その横に『うしおととら』のコミックスほぼ全巻(全33巻)がズラッと並んでいることですよ。ご丁寧に、外伝までありました。

マジか、と驚きましたね。だって『うしおととら』って、もう20年以上前に終っているんですよ。まだ重版していたのかと。ついでに言うと、隣の棚にはあだち充の『タッチ』が、やはりほぼ全巻揃っていました。あれも未だ絶版になっていなかったようです。いやはや畏れ入りました。

なぜ藤田和日郎の『うしとら』は、彼の後発の作品よりも長く、広く愛されているのでしょうか。端的に言えば、面白いからです。でなきゃ増刷されませんわね。でも、その面白さは奈辺に由来するのか。

このお話は、蒼月潮の中学二年生としての1年間を描いたものです。終盤にて彼は中三になるのですが、皆さんご経験の通り、そこには挫折もあれば成長もあります。たいせつな時期です。で、ここで仮説なんですが、潮の歩みと作者の成長は相関的なものであった、それゆえのリアリティが作品に宿った、とは考えられないでしょうか。

どういうことか。この物語は、4巻くらいまでは、だいたい東京都内でしょうか、舞台の範囲が狭いのです。せいぜい「町のオカルト何でも屋」といった趣なんですね。中学二年生が主人公なので、無理もありません。ところが4巻以降、舞台が急激に広がるのです。東北、そして北海道へと延びてゆく。物語の射程範囲がダイナミックに広がってゆくのです。

これは作者、藤田和日郎の世界が広がってゆく過程でもあったのではないか。そう思います。今作は彼の連載作家としての処女作です。駆け出しの若手作家にとっては、執筆現場である東京近辺が世界の過半でしょう。編集部員以外、誰がおれのマンガなんか読んでいるのかと思うはずです。ところが連載が進むにつれ、読者から反応が来る。来たと思います。でなきゃ打ち切りですから。日本のあちこちに、おれのマンガを読む人たちが紛れもなくいる。千葉、北海道、長野、沖縄、岩手、広島、至る所に読者がいる。藤田さんにはその手応えがあったはずです。それは作者の世界の拡張へと繋がり、同時に物語の世界をも拡大させたのではないか。

かくしごと』5巻で、久米田さんは藤田さんを「パーティーを楽しみにしている作家」に分類している節がありました。もしこれが本当なら、藤田和日郎という人は村上春樹の修辞で言う「自開症」に近い所があるのかもしれない。実際にお会いした印象でも、オープンな人だなという気はしました。

そんな人が、全国から便りが来たら何を想うでしょう。じゃあ、みんなの所へ行こう、となるのではないでしょうか。もちろん、実際には行けません。週刊連載はハードなお仕事です。けれどその代わりに潮たちを出来るだけいろんな場所へ連れていこう。だから作品世界のダイナミックな拡張には、作者の実際の成長が伏流していたと考えられるのです。

『うしおととら』は、物語やキャラクター云々ではない、藤田和日郎本人のビルドゥングスロマンをも包含しているのではないか、と。

作品情報

・作者:藤田和日郎
・出版:小学館
・連載期間:1990年12月~1996年10月
・藤田和日郎先生へのインタビューはこちら







 

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