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『ひとりでは生きられない』
女医、養老静江さんのメモワール

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養老静江さんは解剖学者、養老孟司さんのお母様。本書は彼女のメモワールにあたります。静江さんは1899(明治32)年生まれの、「鎌倉で彼女を知らない人はいない」と言われたほどの名物女医だったそうです。「だった」というのは、静江さんは1995(平成7)年に亡くなられたからです。

このメモワールは合計3つの章で構成されているのですが、うち最初の2つは1984(昭和59)~1987(昭和62)年、雑誌『かまくら春秋』に連載されたものです。それらをまとめた『紫のつゆ草』が1992(平成4)年に出版されました。その反響を受け、静江さんは『紫のつゆ草』の続きを『かまくら春秋』に連載します。それが第3章であり、連載期間は1993(平成5)~1995(平成7)年。やがて静江さんが亡くなった後、2000(平成12)年、静江さんが生前に連載されていた随筆をコンプリートした『ひとりでは生きられない』が出版されました。

それらはいずれもかまくら春秋社からの出版だったのですが、2016(平成28)年、『ひとりでは生きられない』が集英社文庫として文庫化。私が読んだのは、この集英社文庫版です。

静江さんの文章は、丁寧な日本語です。明治生まれの人ですが、たとえば「〇〇でせう」というような、古風な文章ではありません。現代でもまったく古さを感じさせない文章です。私は静江さんとお会いしたことはついぞありませんが、きっと凛とした素直な女性だったんだろうなと、そのお人柄が文面から拝察されるようです。

内容は、副題に「ある女医の95年」とあるように、静江さんの一生が語られたものです。明治から平成の世を生き抜いた静江さん。その一生は、まさに波乱万丈です。私は現代をのうのうと生きる、しがない男性ですから、ひたすら感服するばかり。ああ、もっとしっかり生きないと。そう襟を正す思いです。ほんとうに。

「養老孟司が売れたから便乗して出したんだろう。だから中身も、養老孟司に言及するパートが多いに違いない」。そう邪推する手合いもあるかもしれません。でも実際のところ、養老さんにはほとんど言及されないんですよね。むろん全く出てこないわけではないのですが、そんなには出てきません。静江さんが人生の中で出会った様々な人達。養老さんはその一部なのです。どうでもいいわけではないけれど、すべてではないというか。

静江さんのそうした意を汲んでのことでしょう。養老さんは本書の解説で━━本書の解説は、やはり養老さん以外ではありえません━━、静江さんのことを以下のように語ります。

「母の人生は母のもので、私はそのほんの一部に過ぎない。私が五十歳を超えて、医学部の教授をしていても、『お前がいちばん心配だ』といっていた。どこか、母親の価値観に合わない生き方をしていたからであろう。こちらは小さい頃からそういう言われ方に慣れているから、なんとも思わなかった。『また言っている』と思っただけである。ただ母が死ぬ前年に私がオーストラリアで虫を採るというテレビの番組に出たのを見て、『子どもの頃と同じ顔をしていたから安心した』といった。親というのは、そういうものらしい。たしかに現役の間は、私も多少は無理をして生きていたのである。
 お前が幸せなら、それでいいんだよ。子どもに向かって本音でそれをいう母親だった。だから私が無理をしているのを見ると、イヤだったのであろう。でもまあ、世間で生きていれば、多少の無理は仕方がない。(後略)」
(同書、p269-270)

養老さんは、日本では「個人で生きる」よりも「世間で生きる」人が多いと説きました。世間に合わせて自分をモディファイすることを当然として生きる人が多い、と。でも静江さんという人は、もちろん世間に属さないわけではありませんが、「個人で生きる」ことを選んだ。1人の人間として、自立し、十全に生きようとし、実際に生きた。そういう人なのだと思います。そして(逆説的かもしれませんが)それゆえに「ひとりでは生きられない」という主題が、これほどまでに鮮やかに生きるのではないでしょうか。

作品情報

・著者:養老静江
・発行:集英社(2016)






 

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